水色の写真館

暮らしの雑文

天台の教え(一念三千)

天台実相論
(三諦・三観・三智・三惑の関係,化法の四教の関係)

 天台大師智顗は『摩訶止観』の中で円教を中心とする実践,観門の教説を明らかにしている.
 天台(法華)三大部である『法華文句』は教相(注釈書),『摩訶止観』は観心(修行方法),『法華玄義』は二門により顕在化する奥義である.
 よって天台の実相論は『摩訶止観』の修行より「諸法をありのまま正しく認識する」さとりの境地である.
 諸法のありのままの姿を認識知覚するあり方を三諦(空諦・仮諦・中諦)とし,この三諦を観ずる修行方法が三観(空観: 但空の道理/通教,仮観:但中の道理/別教・円教,中観:不但中の道理/円教)である.円頓止観によるさとりの境地である円融三諦(円教/化法の四教)により三惑(見思・塵沙・無明)を断ずるのである.その結果,三智(一切智・道種智・一切種智)を身につけてさとりの境地「十如実相」となる.

(円融三諦)
『摩訶止観』
 円頓止観によるさとりの境地 → 十如実相

  (1)諸法のありのままの姿を認識知覚するあり方→三諦(空諦・仮諦・中諦)

  (2)三諦を観ずる修行方法 →  三観  (空観・仮観・中観)
                   ↓
                   円融三諦(  一心三観  )
                   ↓
                   三惑  (見思・塵沙・無明)を断ずる
                   ↓        ⇅
                   三智  (一切智・道種智・一切種智)

天台観心論
(正修行について)

 三惑を絶ち三智を得るための修行方法である円頓止観の骨子は,一心にさとりの境地に至ろうとする強固な意思である「菩提心」,修行に耐えうるために守るべき徳目で日常生活における行である「方便行」,そして「正修行」(正修止観)である.
 「正修行」とは形態「止」に関して「四種三昧」を,内面「観」に関しては「十境十乗観法」である.
 二十五方便行の後の「四種三昧」は次の4種の「止」の瞑想法である.
・「常行三昧」
 歩きながらの瞑想法で,『般舟三昧経』に基づいて行う.「南無阿弥陀仏」を唱え,阿弥陀仏を観想し,阿弥陀仏の仏像の回りを90日間回り続ける.
・「常坐三昧」
 座禅をしての瞑想による三昧.
・「半行半坐三昧」
 行道と座禅をあわせて行う.
・「非行非坐三昧」
 特定の時間,形での瞑想ではなく,日常の中で常に瞑想を行う.

 「四種三昧」の実践を内面から充実させる修行の本質が「十乗観法」により示される.
 これは,観察の対象を「十境」に分類し,観察の方法を「十乗」に分類し,その組み合わせ全体で100種類の観察を行う観法である.
 「十境」とは,「陰入」「煩悩」「病患」「業相」「魔事」「禅定」「諸見」「増上慢」「二乗」「菩薩」の10種類である.
 次に「十乗」とは,「不可思議境の観察」「慈悲の心を発する」「巧みに止観に安んじる」「法を遍く破る」「通と塞とを知る」「道品を修行する」「対治して門を開くことを助ける」「順序だった位を知る」「忍耐できるようにする」「法に対する愛着をなくす」の10種類である.

 中でも,最初の「不可思議心の観察」が重要とされ,これは対象の世界が概念的な理解を越えているということの観察である.その観察法の一つが「一念三千」である.「三千」は「十法界」と「三界」と「十如是」の組み合わせであり,「十法界」は「六道」「二乗(声聞・独覚)」「菩薩」「仏」の十の世界であり,いずれも心が生み出すものである.その心のあり方は,「六道(『華厳経』)」は「有」,「二乗」は「空」,「菩薩」は「仮」,「仏」は「中」に対応する.そして,それぞれの世界には,他の法界も含めて「十法界」が潜在的に存在すると観察する(「十界互具」).また,それぞれの世界には,構成要素としての「五陰世間」(客観的世界)と,生き物としての「衆生世間」(主体的世界)と,容れ物としての「国土世間」(自然環境としての世界)の3つの世界がある(『大智度論』).
 「十如是(『法華経』方便品)」は,以上の世界のそれぞれが持っている十の存在要素である.具体的には,「相」「性」「体」「力」「作」「因」「縁」「果」「報」「本末究竟等」である.
 以上を組み合わせて10×10×3×10=3000となる.こうして,すべての心の中に,この「三千世界」があると観察する.そして,一瞬の一つの心と一切法である三千世界は,どちらかが先にあるというものでもなく,一つの心が「三千世界」を生むのでもなく,一つの心が三千世界を含むのでもない.「不可思議境の観察」のもう一つの観察法は,「四句推検」である.これは,心の対象を4種命題(A・非A・両是・両否)の否定の分析を通して空(つまり,不可思議)であると考察する,ナーガルジュナに由来する方法である.

(一念三千)

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このように,一念三千は,天台の場合『二経一論』によって構成されている.一方,日蓮聖人は十界互具の論拠をすべて『法華経』に求め,『法華経』が一念三千の経典であるとしている.

 

Time of your life

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浜田省吾さんのお好きな方,こんにちは.浜田省吾さんの歌詞の根底に流れる価値観にはよく仏教感があると言われています.すべてはそこにとどまり続けることなどなくいずれは過ぎ去っていくという刹那・悲しみ・痛手を歌い上げている,これらは「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」などを意味し,はかないと知るがゆえに日常の時間をいとおしく感じさせます.
私達はなんとなく時間とは過去から未来に向かって一直線上に流れるものだと思っています.仏教の時間論の中で説一切有部という教団*1は,時間は未来から現在そして過去に流れていると考えました.車を運転している人のイメージ(車のいる瞬間地点が現在で前方の景色が未来,そして流れていく後方が過去),まるで過去・現在・未来の三世が同時に存在している*2ように感じます.これは時間の流れを空間内の移動・運動と見ている時空の概念です.時間を途切れない直線の流れと見るのではなく映画の一コマ単位の映写機のリールのように見ています.この時間の単位を刹那といいます. https://youtu.be/xOTIFQizTQ0

「二度と立てぬ 痛手なのに 受け入れてく 不思議だ人は 追いつけない この悲しみ 後に残して」  https://youtu.be/Tlo3MJfK_H4

これらの苦を少しでも克服することが衆生にとっての願いです.人間はなにげない日常のなかでいったいなにをすればいいのでしょう... 前置きが長くなりました.私が好きな歌に「君が人生の時」というバラードがあります.この歌はラブソングだと思っていましたが,タイトルイメージの誤解釈だったようです^^;

「喜び悲しみ 今日も つづれ織りながら 明日へと心をつなぎ ひたすら生きてくだけ たとえ それが思い通りに いかないとしても Time of your life 抱きしめるがいい ただ ひとつの 君が人生の時... Time of your life 想いを馳せれば 心 高鳴る 君が人生の時」

たとえ思い通りにならなくて苦しくても,今この一瞬の刹那をないがしろにしてはいけない.かけがえのない大切なあなたの人生の「時空」そのものなのだから.今こそが心高鳴る未来へと続く人生そのものなのだから.

つまり「君が人生の時」とは,「今この時間と空間が君の人生そのもの*3」のような意味なのでしょう.
https://www.youtube.com/watch?v=eQX5XKgxAEQ&feature=share

昨日偶発的に懐かしい方からのコンタクトがありました.すべてが遠く過ぎ去ってしまった事柄でありもう振り返ることさえもない過去であると思っていましたが,この歌のとおり痛手であり苦しかったけれどあの時が今日(未来に)までつながっていること,三世の不思議さを感じた日曜日の夜のささやかな出来事*4でした.
この歌は人生の応援歌であるのですね,ずっと... 私にもあの人にも.またお願いします.ありがとうございました.

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全ての存在は相対的相関的なもの,これをユングは「シンクロニシティ」と呼び釈尊は「縁起」と見た.

*1:戒律を守る保守派上座部の一つ(部派仏教の時代 1〜2世紀).

*2:「三世実有」説.

*3:過去を追うな.未来を願うな.ただ今日なすべきことを熱心になせ.過去はすでに過ぎ去り,未来は未だ来ていない.マッジマ・ニカーヤ/中部経典

*4:法華経を熟読する者は,これを読んで確信を得,慰安を有するがゆえに,成敗栄辱によりて動かされず,あらゆる境涯に案んじ,あらゆる艱難に耐え,一挙手一投足の労にも深き意義を認めてこれを重んじ,これをたのしみ,もって崇高潔白なる生涯を送りうべきなり」第14代日本学士院院長 山田三良.

https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho22-03.pdf&type=G&prt=3220
法華会と在家信仰 - 日蓮宗 現代宗教研究所 

HANABI/ミスチル から10年,「SINGLES」で主人公は大人になった.

 ミスチルの歌詞のお好きな方,こんにちは.
 人間の欲のなかで最も強い激しい欲・執着を「渇愛」といいます.仏教のなかではもっとも苦しい煩悩であると捉えられています.そのひとつがこの煩悩(愛する人への思いを捨てること)でしょう.これら煩悩を克服することが衆生にとっての課題です.波風がたった娑婆世界に生きている人間はなにげない日常のなかでいったいなにをすればいいのでしょうか.

 最近,劇場版コード・ブルーがヒットしたテレビドラマ「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」の主題歌「HANABI」は10年経った今も輝きを放ち続けるモンスターソングです.その歌詞は生きていくことの悲しみを仏教観で切々と歌い上げています.そしてこれも10年のときを経て,2018 年夏にリメイクドラマとして再度放送された人間の「都合」と「執着」により腐敗した日本企業と戦う『ハゲタカ』の主題歌「SINGLES」その言葉の奥にあるメタファーを勝手に読み解いてみました.

 以前,HANABIに仏教観を説いているようなメタファーを感じたので書いています.

noginogikun.hatenablog.com

サヨナラが迎えに来ることを,最初からわかっていたとしたって」「決して捕まえることの出来ない 花火のような光だとしたって もう一回×4 僕はこの手を伸ばしたい
 10年前,主人公は会者定離(かならず来る別れ)をわかっていても,愛する人との別れを惜しみ,未練と後悔の中で生きていた.
めぐり逢えたことでこんなに 世界が美しく見えるなんて 想像さえもしていない
 たとえ花火の光のような一瞬の煌めき,刹那の感動を繰り返すだけだとしても会いたいと思っていた.
僕は意外といろんなことを覚えていて 戻れないこと わかってたって どこかに面影を探してしまう
 10年の時を経た主人公はいまでも,戻れない幸せだったあの頃の記憶をどうしても忘れることができない.
悲しいのは今だけ 何度もそう言い聞かせ いつもの同じ感じの日常を過ごしている
 忘れる努力をしてもそれは悲しい心を忘れたいと言い聞かせることがより執着を強めてしまうことになる.忘れようとする行為自体が思い出すことに縁起する.
僕が僕であるため Oh I have to go
だから,新しい道を進むこと転換が必要だ.
ねぇ 君はまだあの虹を覚えてる?
 主人公(ミスチル)は「虹」に何を意味づけているのだろう.
“夕立の晴れた空にかかる虹は,やがてはかなく消えてしまいますけど,ひとの胸にかかった虹は,消えないようでございます.*1
 主人公にとってこれほどまでに人を愛し,これほどまでに愛にとらわれたことはなかったのであろう.
 同じ虹は二度と見られない.あの美しいグラデーション,虹の色に境界を引けないように,この世の中の全ての事物は常に変化し,他から独立して存在しているものなどない.虹はまさに釈尊の縁起の法が説く移ろいゆく世界,無常無我のありさまそのものである.
誰かの為に生きるって誇りを 僕に教えてくれたのは 君だけ
 「発菩提心*2」誰かのために生きたい.愛する人は主人公の意識下にいつしか観音菩薩ブッダの報身・化身)となり,自利(自分のため)だけでなく利他(誰かのために努力すること)を即し菩薩行へ導く.
守るべきものの数だけ 人は弱くなるんなら 今の僕はあの日より きっと強くなったろう
 煩悩(守るべきもの)の数だけ苦しみは増していく.渇愛や執着を手放すこと,とらわれの心を取り返すこと.主人公は執着する「思い」を「思い出」に変える.
楽しいのは今だけ 自分にそう言い聞かせ 少し冷めた感じで生きる知恵もついたよ
 「愛別離苦」,愛が深ければ深いほど別れ離れの苦しみは増していく.どんなに愛を注いでも,その対象は無常である.だからやがては変化し過去に去ってしまう.愛は束の間の時,無常無我を自身に言い聞かせる,仏の智慧である.
それぞれが思う幸せ 僕が僕であるため
 「自己を拠り所とせよ」,自分は自分の人生を自分として生きていく.自分自身に誇りを持ち,そしてこの世は無我であるということの智慧をつければ無常を受け止めることができる.釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教え「自灯明*3」「法灯明*4」とはそういう意味の言葉である*5

 主人公は,一切皆苦(この世で生きていくことの苦しみ)を受け入れようとしている.
だから最後にもう一度,
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を どれだけ愛することができるだろう?
 日々是好日,過去を追うな.未来を願うな.ただ今日なすべきことを熱心になせ.過去はすでに過ぎ去り,未来は未だ来ていない*6.またお願いします.ありがとうございました.

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*1:太宰治 斜陽

*2:菩提心:一心にさとりの境地に至ろうとする強固な意思

*3:自分自身を頼りとすること

*4:真理を頼りとすること

*5:人はみな天上天下唯我独尊である.人間の運命を決定づけるものは人間自身であり神でもデビルでもない(自業自得果).

*6:マッジマ・ニカーヤ/中部経典

ゴータマ・シッダールタ

ゴータマ・シッダールタ太子の家系図ついて

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 シャクヤ族*1(コーサラ国の属国):ネパール中部ターライ平原,カピラ城(王城),クシャトリヤ

 漢訳律『五分律*2』による家系図(1)と阿含・『長阿含経』『起世経』による家系図(2)を比較すると,
 父王に(1)には3人の兄弟,そして(2)にはさらに一人の妹がいる.
 父王の兄弟の子供に相違が見える.

*初期仏典

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伝承「天上天下唯我独尊」とアシタ仙人の予言について
・誕生伝説
 「天地の間に存在するすべてのものの中で,われこそがもっとも尊い」という誕生偈と言われている言葉の意味は,多くの人々を救済するための釈尊の決意と自覚を象徴している.
・予言
 誕生の喜びの宴席に呼ばれた婆羅門の学者アシタは「王子は王位を継げばインドの転輪聖王(理想の王)に,出家すれば真理を覚って世の人々を救うブッダ(精神世界の王)となる」と予言した.
 仏陀への道を宿命付けられた2つのエピソードと,生まれてすぐに生母を亡くす,老病死への不安感,贅沢な暮らしのはかなさ,大国に隷属している自国の,いつ侵略されるか知れない危うさなど,シッダールタ太子の生活の文脈が出家への物語をコンステレーション化する.
 偉大なるだるま(法)を説いた釈尊は永遠の真理であることを後世に伝承するものである*3

*1:釈迦国:インドからネパールにまたがって位置.

*2:資料としての評価は『五分律』の方が低い.

*3:「仙人の予言」は当時の貴人に係る大切なイベントであり,王子誕生の必然性を示す上で,無くてはならないものであった.

ブッダと釈尊

歴史資料と伝承
 紀元前5世紀頃の古代インドでは,「仏陀」(buddha)は固有名詞としての釈尊を指すのではなく,目覚めた人,覚者の意味を持つ普通名詞であった.
 仏伝(仏陀の伝記)資料は,仏伝のみを記述している経典(仏伝経典)として『ブッダチャリタ』(馬鳴),『ラリタヴィスタラ』などの文献があるが,成立年代が釈尊滅後数世紀を経ていること及び,脚色・粉飾が著しいことから,原始経典(原始仏典)と言われている経典群の中から,伝記の史実部分を抽出し,歴史上の釈尊を浮かび上げようとしている.

*原始経典 

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4大仏跡地(古代東方インド)・残された弟子達の拠り所となる場所
 ルンビニー・・・・・釈尊誕生の地(ネパール南部ターライ地方)確かにこの世にいたことを示す

 ブッダガヤ・・・・・釈尊成道の地(ボード・ガヤー)覚りそのものを示す
 サールナート・・・・釈尊初転法輪の地 (鹿野苑)教えが説かれたことを示す,ヴァーラーナシー(沐浴に代表されるヒンドゥー教の聖地)の郊外
 クシナガラ・・・・・釈尊入滅の地(北インド)肉体ある限りダルマ(法)に逆らうことはできないことを示す

「八相成道」の種類について
① 降兜率天釈尊の前生(菩薩)が娑婆世界に降りる.
② 入胎シャキャ族マーヤー王妃の左脇腹から入り,体内に宿る.
③ 4月8日,出胎ルンビニー園で,生母マーヤーの右脇からシッダールタが生まれ,7歩歩き「天上天下唯我独尊」と発した.
④ 出家四門(東西南北)から順に出て四苦(生老病死)に苦しむ人々を見て世の無常を観じ出家,修行求道者となる.29歳.
⑤ 降魔6年の苦行の後,ブッダガヤ菩提樹の下で禅定(瞑想),マーラ(悪魔)襲来を撃退する.
⑥ 成道時は12月8日35歳に悟りを完成,ブッダ(覚者)となる.
初転法輪サールナートにて5比丘に初めて行った説法(=四諦八正道).5人が帰依して最初の仏弟子となる.
⑧ 入滅(涅槃)2月15日,クシナガラにて入滅,80歳.

 

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名僧 日親上人について

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佐賀市 竹原山妙覚寺

布教の特徴
 日親は上総国(千葉県)の埴谷の妙宣寺の日英について出家し,後継者の一人としてエリートの道を歩む.妙宣寺は中山法華経寺を本山とする中山門流である.日祐(千葉胤貞の猶子*1)が本山の第三世貫主に着任し豪族千葉氏との深い関係が生じる.
 日祐は多くの信仰の存在を容認するが,日親はそれを認めず,日祐・千葉氏を厳しく批判したため中山門流から破門された.
 日親は,他宗の僧へ論争をしかけ,将軍に諫暁(1439)を行った.そのため激しい法難を度々受けたが純粋(不受不施)な法華信仰を生涯貫いた.

 日親(1407-1488)は京都四条綾小路に本法寺*2を開いた(1436と伝えられる).日親は大規模になった寺内の秩序を整えるため本法寺法式を定めた.

本法寺法式(1484)
一 朝昼晩の三回にわたって行われる勤行に欠席してはならない、とくに朝の勤行には決して欠席しないように。もし朝の勤行に一度欠席したら、所定の罰金を出さなければならない、読経が始まって後来た者は、所定の半分の罰金を支払うこと。
一 本堂の御番衆は、香・花・灯明を一年中絶やさぬこと。
一 本法寺で法談がある時は、衆徒として門外に出てはならない、どうしてもしなくてはならない所要があれば、その前後に行うこと。
一 行先を知らせずに他所に宿泊してはならない、白昼も同じである。
(十四箇条省略)

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日親上人血染めの宝塔(書きかけの御題目) 

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(佐賀 宝塔山親正寺)

*1:武家と寺院の結びつきは古代よりあった.

*2:室町〜江戸期の日蓮宗の重要な資が護持されている.

ミスチルに仏教観を説いているようなメタファーを感じた

最近,劇場版コード・ブルーがヒットしているからだと思いますがHANABIをよく耳にします.
今までメロディばかりを楽しんでいたようで気づかなかったのですが,ミスチル桜井和寿さん)の詩には仏教観を説いているようなメタファーを感じます.

ミスチルは人間世界(娑婆世界)に対して歌う.
決して捕まえることの出来ない 花火のような光だとしたって
移ろい行く世界,あらゆる事物には,永遠・不変なものなどない(諸法無我).
サヨナラが迎えに来ることを,最初からわかっていたとしたって
花火のような光の明滅から一瞬の刹那生滅を語る(諸行無常).

手に入れたものと引き換えにして切り捨てたいくつもの輝き
愛する人との別れの苦しみ(愛別離苦),求める物が得られない苦しみ(求不得苦)
もう一回 もう一回
これで最後にしようと決意しても,また求めまた恋しくなるとらわれの心と体(煩悩),私たちはこの世で迷い続ける.

波風が立った世界をどれだけ愛することができるだろう?
この世の中すべてのものは苦しみである(四苦八苦),自分の思い通りにならない(一切皆苦),とらわれの心を破し(空観),すべての現象は仮のもの(一瞬の刹那)ながら,その事柄をしっかり受けとめ(仮観),さまざまな対立を超越した世界に体達する(中観)一心三観.

考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い でも妙に器用に立ち振舞う自分は それ以上に嫌い
うわべばかり色眼鏡でものを見るのではなく,自身も含めて全ての存在のあるがままの真実に即した姿・道理(諸法実相),諸行無常諸法無我,この世の苦悩や真理を深く歌っている.

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誰も皆悲しみを抱いている だけど素敵な明日を願っている

どれぐらいの値打ちがあるだろう? 僕が今生きているこの世界に
世の中のあらゆる事物は常に変化し互いに影響を与え合う,すなわち通時的・共時的相依関係にあります.事物には,それが起こった根本の原因があります.原因に何かしらの関係が条件(縁)となって加わり,結果が生じるのです.もちろん自分自身も同じようにあらゆる関係の中に存在・変化しているのです.「無常」であり「「無我」であり,何一つ思い通りになるものはなく,望んだとしても完全に手に入れられるものなどなにもないのです(空).
このように,この世はすべては変化し続ける(無常),不変の実体はない(無我),すべては連続性・関係性の中で成立(縁起)しているのです.
だから人は「誰も皆悲しみを抱いている だけど素敵な明日を願っている」のでしょう.

季節は再び秋へ,またお願いします.

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