近代の歴史・日連係諸宗派について
日本における近代は明治維新(1868年)から太平洋戦争の終結の昭和20年(1945年)にいたる時代である.
明治政府は,国学・神道を指導理念とし,神仏分離を推し進めた.その結果,全国的な廃仏(排仏)毀釈が行われ,多くの僧侶が還俗,仏教への迫害や沢山の貴重な施設・仏像などが破壊された.1875年(明治8年)まで続く.特に薩摩藩・鹿児島県内は,藩主島津家の菩提寺までが廃寺となり*1,仏教由来の国宝,国重要文化財は一つも存在しない.水戸,高知,松本なども激烈な廃仏(排仏)毀釈が行われた地域である.
身延山久遠寺を総本山,池上本門寺・中山法華経寺・京都妙顕寺・京都本圀寺*2を大本山とする一致派を統一した「日蓮宗*3」という宗派名は1876年(明治9年)の公称以前は,法華宗・日蓮法華宗その他日蓮党などと呼ばれていた.
1898年(明治31年)勝劣派もそれぞれ妙満寺派は「顕本法華宗」,八品派は「本門法華宗」,越後本成寺派は「法華宗陣門流」,本隆寺派は「法華宗真門流」と宗派名を公称した.また大石寺は1900年(明治33年)本門宗を離れ独立し後に「日蓮正宗」となる.
不受不施派は江戸時代以来寺請が禁止されていたが,岡山や千葉では地下に潜行していた.日指派日正は幕末から再興運動を行い,明治9年公許されて「日蓮宗不受不施派」として岡山県金川に妙覚寺を建立した.津寺派は「日蓮宗不受不施講門派」を公称し,岡山県鹿瀬に本覚寺を建立した.
在家仏教運動も発展し,「仏立講」「蓮門教」「高松八品講」などが結成された.その他国柱会(1914・田中智学*4),天晴会(本多日生)など全国的な規模に発展した.大正末期から昭和初期には「霊友会」「立正佼成会」「創価学会」などが生まれた*5.
1940年(昭和15年)には本末解体が行われ,「日蓮宗」「本門宗」「顕本法華宗」の三派が「日蓮宗」に,「本門法華宗」「法華宗」「本妙法華宗」が「法華宗」となった.
終戦後,妙満寺は「日蓮宗」を離脱し「顕本法華宗」を設立した.