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暮らしの雑文

仏教の根本思想

根本思想(釈尊の真意),時間と空間を超えて不変で有り続ける教えとは何か.

 釈尊の教え(悟り)は,「自己」自身に依り,諸々の従属*1や他の神による自己影響から離れて自己実現*2出来る唯一無二の教えである.

 その教えは,シッダールタ*3比丘が菩提樹下で禅定に入り一切の煩悩(悪魔の誘惑)を断ち切り自分がブッダになったことを覚った,自身が悟りを開くための道理である「縁起」の思想であり,梵天勧請により他を指導教化するために*4五比丘に語り伝達された*5初転法輪」の教えである.

 釈尊の「縁起」思想は,初期経典*6に「縁起を見る者は法をみる.法をみる者は縁起をみる」という名高い言葉をみることができる.
 この世界のもの一切は,必ず変化し滅びゆく.恒常的常住不変の存在は一切なく,生じたものはまた必ず滅する.すべては縁*7によって生じ縁によって消滅することを無限に繰り返す(通時的・時間的縁起,諸行無常).すべては縁によって成立する,存在と存在との関係であるだけでどこにも永遠不滅の実体はない(共時的・空間的縁起,諸法無我)という釈尊の覚った真理の教えであり仏教の根本思想なのである.つまり「AがあるときはBがある.Aが生じるがゆえにBが生じる.AがないときBがない.Aが滅するゆえにBが滅する」,この世の中の事物はすべて相互に依存し合っており,いずれも相対的な存在*8である.

 次に釈尊は成道,覚りを内に秘めてそのまま涅槃に入ろうとしたが,バラモン教の神梵天が,その悟りを他者に説くよう勧め,釈尊は自身の涅槃の境地だけではなく伝道を決意し最初の法を説いた「初転法輪」の教えである.基本的には四諦(因と果を明らかにした4つの真理)の教えである.以下,四諦を記述する.
 「苦諦」は,現実世界の在りようは苦であるという真理である(一切皆苦).人生は苦であり,その苦は四苦八苦*9に分類されている.生=生まれることについても苦ととらえるのは輪廻転生の考えがあるからである.生まれることは,6つの世界(六道*10輪廻)での迷いの生存となるからである.
 「集諦」は,欲望・執着*11(欲愛・有愛・無有愛*12)の尽きないことが苦を生起させているという真理である.「縁起」の真理により,「集諦」(「一切皆苦」の因)は「苦諦」(「一切皆苦」の果)を導き出すのである.
 「滅諦」は苦を滅することが欲望のなくなった理想の境地であるという真理である(涅槃寂静).「縁起」の真理により,「集諦」(「一切皆苦」の因)をなくせば「滅諦」(「涅槃寂静」の果)を導く事ができる.
 「道諦」は苦滅にいたるためには八つの正しい修行方法(八正道)によらなければならないという真理である.すなわち,①正見:正しく法(ありのまま)を見る,②正思:正しく法を思う(思惟),③正語:正しく法を語る,④正業:正しく法を行う,⑤正命:正しい命に生きる,⑥正精進:正しく戎律を犯さぬよう努力する,⑦正念:正しく法を記憶する,⑧正定:正しく心を禅定して安定させる,である.「縁起」の真理により,「道諦」(涅槃寂静の因)は「滅諦」(「涅槃寂静」の果)を導くのである.

 釈尊の入滅後は,金言の永続的承継のための「結集*13」が行われ,教え(経)と戒律(律)の確認を成し遂げた.入滅後100年頃になると,教団は律の解釈をめぐって分裂をかさねた.分裂した各部派*14は,自派の教理にもとづいて聖典を編纂しなおし,独自の解釈を立てて論書を生み出した.それらはアビダルマといわれる.そして,これを集めたものが論蔵(アビダルマ蔵)で,ここに経蔵・律蔵とあわせて三蔵が成立している.

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釈尊最後の旅,涅槃入滅の意義(大般涅槃経典のメインテーマ)について 

NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 最期のことば

NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 最期のことば

  • 作者:佐々木 閑
  • 発売日: 2016/06/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

仏陀は我々と同じ様に死をむかえるということなのか,あるいは違うことなのか.
 釈尊でも物質的な死は必ず訪れる.教えと実践により繋がる(現在化される).

② 死とはいったいどういうことなのか.仏陀はどのように死を我々に示そうとしているのか.
 死とはどういうことなのか答えることに意味はない(無記) ,修行に励めば,心の苦しみから最終的に解放される. 

*1:「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍いを知って、修行僧は、従属することなく、執著することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。 スッタ二パータ

<解説>「従属」とは「依りかかり止まる」という意味.無常で変滅するものに身をあずけ依りかかり,執着すると安定は得られない.大地が震動すれば自分も動く.従属すべきでないものに従属しては危険である.

*2:真理を自覚した者

*3:サンスクリット語パーリ語ではシッダッタ

*4:仏伝を作成する上で加えられたと考えられる.

*5:五人は次々と悟りを開いて阿羅漢になった.「初転法輪」(初めて真理を説くこと)によって,五比丘たちは弟子となり,最初のサンガ(僧伽)が形成された.これにより三宝(仏,法,サンガ)が整った.

*6:南伝大蔵経

*7:原因と条件(因縁).

*8:言葉も相対的.

*9:生・老・病・死,愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦

*10:天道・人間道・修羅道(三善道),畜生道・餓鬼道・地獄道三悪道).

*11:苦の原因は渇愛(Taṇhā タンハー)存在(Bhavaビハーバ)への執着である.また,何らかの存在として再生したい,と思うことで,輪廻的世界(苦)にとどまることになる.

*12:仏教では「愛」は本質的に自己中心であり欲望・執着である.肯定的な「愛」は,仏教では「慈悲」と呼ぶ.

*13:第一回結集:入滅の年(おおよそ紀元前5世紀末〜紀元前4世紀はじめ).

*14:根本分裂は,戒律の解釈とされるが,その後の部派分裂はさまざまな要因が考えられる.

天台の教え(五時)

三照譬,五味譬,長者窮子喩

 天台大師は,印度から渡ってきた膨大な仏教典類を分類・整理するため,化法の四教・化儀の四教の「八教」と「五時」の教判を説いた.「八教」の教判が,釈尊一代(50年:成道30歳〜入滅80歳)の説法の内容・形式(薬・処方)を分類したものであるのに対して,「五時」教判は更にこの説法を時間的に区分したものである.
 天台大師はこの五時を説明するに当たって,その意義と理由について,『涅槃経』の「五味」,『華厳経』の「三照」,『法華経』信解品の「長者窮子」の譬喩を用いて説いている(下図のとおり).

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  最初の華厳時は,釈尊が悟りを開いた直後の三七,21日間をいう.この時釈尊が説いた『華厳経』は,高度な悟りの内容が披瀝されているので聴聞するほとんどの者は理解できなかった.そこで釈尊は段階的に時間を追って説法することにした.
 三照譬では,『華厳経』のことを「日が初めて出て高山を照らす」のに譬えていて,悟りを目前にした普賢菩薩等に対して厳然と説かれた姿を形容したものである.しかしほとんどの者は理解できなかったので,『法華経』の長者窮子喩では,長者が立派な姿をした使人を窮子に近づけ逃げられたことに該当し,擬宜(よろしきところをおしはかる)に譬えた.

  そこで小機の者の為に釈尊は,先ず小乗経典の教えである『阿含経』を説いた.これは,三照譬では幽谷を照らすことに,また法華経では,窮子との直接交渉に失敗した長者が,粗末な身なりをした使人を遣わしたことに当たり,誘引に譬える.
  鹿苑(阿含)時に続くのが,方等時である.この時説かれた経典は『維摩経』等の大乗経典である.阿含の小乗経を説いたあと釈尊は,種々の大乗の教えを説き大乗へと導いた.これは,長者窮子喩の中で,長者が窮子を向上させる過程を指し,弾呵(小乗の教えにとどまっているのを叱る)に相当する.また三照譬では,平地を照らす中で一番日の低い食時(じきじ)(午前八時)に譬えられている.
 そして第四の『般若経』が解かれる.方等時において釈尊は,小乗と大乗は別のものであり優れた大乗への転向を説いた.ここでは,小乗の執着からさめた衆生に対して「空」を説き,大乗と小乗を対立的に考えていた方等時の衆生を一切空の立場から否定し,本来すべてが大乗であることを示した.これは,長者窮子喩では,長者が窮子に対して我が子のように接し重要な役を与えることを指し,淘汰(より分け精選する)に当たる.
 また三照譬では平地を照らす中の禺中(ぐうちゅう)(午前十時)に譬えられる.
 最後が法華涅槃時である.釈尊はずっと次第を追って経を説いた.それはそれぞれの者を『法華経』に導きすべての教えを統合するための方便であった.この『法華経』は,長者窮子喩では,長者が窮子を我が子であると開顕して家業を継がせることに当たり,三照譬では正中(しょうちゅう)(正午)といって一番高い位置から平地を遍く照らし出すことに譬える.
 そして後番を涅槃時といい,一日一夜の説法をいう.醍醐とは醍醐味(だいごみ)のことで,牛乳から精製して最後に完成する色香味のすべてに勝れた妙味の食物をいい,「涅槃経」には一切の病を消滅する妙薬と説かれている.
 五味譬については,『大般涅槃経』の「五味相生の譬」の一節,「牛より乳を出し,乳より酪(らく)を出し,酪より生蘇(しょうそ)を出し,生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し,熟酥より醍醐を出す,醍醐は最上なり.」のとおり,数々の経典を経た最終形態が『大涅槃経』という内容の譬えとして,乳製品の最上級品である醍醐が使われている.教えを聞くものの機根*1が熟していくことに譬えてそれぞれ図の様に五時に配当されている.

 この天台大師の五時の教判によって,釈尊の一代の教説は『法華経』を根本に整理され,体系づけられたのである.

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参考:https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf

*1:教えを聞いて修行できる能力.

日蓮聖人の教え - 経典と本尊

 仏教の目指すものは,自己が自我を克服し悟りの境地「涅槃」を目指すものである.一方,聖人はまず社会,国家に目を向け,立正安国の答えを釈尊が説いた教えであるという認識に基づき仏教経典*1に求めた.「本当の教主と正しい教えとは」の答えを聖人の遺文に求める.

 聖人は各宗派の経典は小乗,権大乗であるため不完全な教えであり,法華経だけが釈尊の本意(一仏乗)が説かれた「正しい教え」であるとした.また,聖人は「本当の教主」本尊は三徳(主・師・親*2 )を具足している釈尊以外にはいないとした.
 聖人は,当時日本に存在したすべての仏教宗派を「一代五時図 *3」に書き加え,その代表的祖師と依経の名を示した.
 華厳経(三七日)は,声聞・縁覚以下の者は理解できない権大乗教である.華厳経は天台の教判では法華経と同じ円教であるが,別教の教え*4を兼ねている.
 阿含経(一二年)は,四諦・十二因縁・六波羅蜜の教えをそれぞれ声聞・縁覚・菩薩の三乗別々に説き示し,阿羅漢の位を得ることを勧めている小乗(声聞=四諦,縁覚=十二因縁)の教えである.
 方等時,般若時の経典(三十年)では,方等時は浄土宗,真言宗禅宗など小乗と大乗を合わせ説き,大乗へ転換させることを目指す方便の教えの権教であり,般若時の教えは,仏教を大乗・小乗に二分する見方を廃止し,一切空を説く権教である.
 涅槃経(八十入滅)の特徴は,「追説追泯」であり,取り残された者を救うためにもう一度説き再び開会する雑然なる教えである.
 このように,聖人は各宗派を全面否定ではなく不完全,不足するものと説いている.
 そして聖人は,法華経(八箇年)こそが釈尊の教えの本意を完全に解き明かしている実大乗の経典であり,その実大乗「正しい教え」に従うことを強く説いた.
 一方,「本当の教主」に対する答えは『一代五時鶏図*5 』に示している.特に釈尊については三徳が示されている.
 「譬喩品」第三の「今此の三界は皆是れ我が有なり,其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり.而も今此の処は諸の患難多し.唯我一人のみ,能く救護を為す.」について,聖人が51歳(1272*6)で書いた『八宗違目抄』には,“今此の三界は皆是れ我が有なり”に「国主」を見出し,“其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり”に「親」を,“而も今此の処は諸の患難多し.唯我一人のみ,能く救護を為す”に「師」を見出している.三国の中でこの三徳を備えている聖人は釈尊以外いないということである.
 さらに聖人は,仏教の中での仏身の勝劣を三身論*7法身・報身・応身)に各仏身が住んでいる場所である四土*8(同居土・方便土・実報土・寂光土)を対応させて説く.4種の仏身(劣応身・勝応身・報身・法身)を示し,各宗派の本尊が持つ功徳を示すのである.結果天台宗の本尊は三身を備える.
 天台宗の本尊は迹門の釈尊(応身は有始有終・報身は有始無終・法身は無始無終)と本門の釈尊(久遠実成の三身は無始無終)である.
 よって法華経釈尊は三身具足の教主・本尊なのである.

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*1:8万4千ほどあるといわれている.

*2:仏は,三界はみなこれ我が有として,この世を治めるから「国主」である,一切衆生を教え導くから「師」である,一切衆生はみな我が子なりと憐れむから「親」である(「譬喩品」第三).

*3:天台大師智顗(538-597)により体系化.

*4:天台智顗と別の解釈:釈尊が前仏から学んだ思想で,独自の釈尊の思想ではない.法華経(寿量品)こそ永遠の仏(久遠実成)のあらわれとして現世肯定が語られた.

*5:前半で教判,さらに経典で説かれる仏を整理.

*6:1272年4月,聖人は塚原から一谷へ移される.ここで観心本尊抄(法開顕の書:釈尊が仏になるまでの修行と,仏になった功徳のすべてが題目に備わり,この題目こそ末法の正法→大曼荼羅を始顕)を執筆する.そして流罪を許され鎌倉に戻ったのは1274年3月(53歳)である.

*7:仏の身体として現れた功徳を3つの視点から示したもの.4世紀頃までの中期大乗仏教では,法身(永遠身)と色身(現実身)の二身説だけであったが,5世紀頃までには三身説が成立した.

*8:智顗が提唱した仏土説.

法華経における最大のメッセージである「如来使たれ!」について

如来使たれ!
 法華経に特徴的なことは,法華経そのものへの信を説く点にある.「菩薩行」の根本に求められるのは,すべての者は成仏できるということに疑いを抱かない法華経への信である.
 信じることによって,はじめて受け入れることができるのである(『譬喩品第三』).
 人間の内面的営みである信を可視化するには,行為・実践による表現が必要である.その実践は,「五種法師:受持(教えや戒律を受けてそれを守ること),読(経典を見て唱えること),誦(記憶している経典を唱えること),解説(他者に解説すること),書写(写経すること)」として示される(『法師品第十』).
 つまり,「五種法師」は法華経への信を根本においた利他行,菩薩行である.
 釈尊の唯一の目的である「一大事因縁*1」をみずからの「菩薩行」(=「五種法師」)において実践する者を「法師」「如来師」と位置づけている(『法師品第十』).
 これらの実践は,釈尊の救済活動を「現在化*2 」しようとする営みであり,「法師」「如来師」は釈尊を永遠化する者である.法華経における最大のメッセージである「如来使たれ!」は,菩提樹下で悟りを開いて仏陀となった釈迦個人の存在(在世)を超えた“永遠に救済活動を行い続ける存在”を呼びかけたものである.
 「一大事因縁」を「現在化」する「法師」「如来師」の活動がない限り,釈尊は,過去の仏となってしまう.「法師」「如来師」たることをみずから決断し,実践し続けることのみが,釈尊の永遠性を保証するからである.
 そして自分が今も救われずここに存在することの「罪*3」 の自覚“もう二度と背くまい”が固い決意を生み出す.また,この悪世に生まれてきたのは,過去世に自らが立てた「誓願」によるものである(『法師品第十』).
 「罪と誓願」,自己の過去世における真実と受け止めることは,「如来使」たることの決断と勇気を与えてくれる.

 「無始の成仏」「六或示現」について
(「無始の成仏」)
 仏の寿命は無限であり,永遠の生命であること「永遠の仏」を説いたのが『如来寿量品第十六』である.
 釈尊は,無限といってもよいほど遠い過去,久遠の昔にすでに成仏した(久遠実成)ことを明らかにする.近きを開いて遠きを顕かにするという「開近顕遠*4」とは,このことである.また,目に見える仮の姿(歴史上の釈尊他)をした仏が「垂迹」で,久遠の仏が「本地」であり,「開迹顕本」ともいう.そして無限の過去における成仏から今に至り,永劫の未来にわたって救済活動を続ける,「永遠の仏」であることが語られていく.
 娑婆世界で成仏した釈尊が「永遠の仏」であるならば,娑婆世界は「永遠の仏」が常住している世界であり,「永遠の浄土」なのである.しかし「自我偈」によると娑婆世界の「顛倒の衆生*5」は苦しみに満ちている.
 釈尊は「顛倒の衆生」をそのままにはしておかない.「顛倒の衆生」への永遠の救済活動の展開は,『如来寿量品』に「六或示現」という形で示されている.
(「六或示現」)
 釈尊は様々な姿を示し,様々な手段を講じて救いへと導く.分身の諸仏(阿弥陀仏薬師如来などさまざまな仏,三世十方の仏)とは,永遠の命をもった本仏釈尊である.すべての個別的仏は,久遠実成本師釈迦牟尼仏の分身であり,永遠の仏としての釈尊に統一された.

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*1:三世十方の諸仏はただ一つの重大な因縁・目的をもって,この世に出現したのであり,その唯一の重大な因縁・目的とは,一切衆生を皆,真の成仏に導くためだったと説いた(『方便品第二』).

*2:現実の中に現れ,実際に人々に働きかける.

*3:法華経では「罪」は二乗に関してのみ語られるが他人事として捉えるべきではない.

*4:「近」は菩提樹下で悟りを得た釈尊のこと,歴史上の釈尊を,「遠」は『如来寿量品』で顕かにされる五百億塵点劫の昔に成仏した釈尊のことを示す.

*5:物事をありのまま見ることができないこと.

初転法輪・仏教成立

梵天勧請

 釈尊は成道,覚りを内に秘めてそのまま涅槃に入ろうとしたが,バラモン教の神梵天が,その悟りを他に説くよう勧め,釈尊は自身の涅槃の境地だけではなく説法を決意した*1

初転法輪」の教え(他を指導教化するための教え)

・中道の教え(偏執的妄執にとらわれることなく自由(あるがまま)な状態に自身を置くことの実践,正しいとは離辺「正は中なり」)

四諦の教え(因と果を明らかにした四つの真理「正は等なり」)
「苦諦*2」迷いの生存(現実世界の在りよう)は苦である(行苦)という真理.
「集諦*3」欲望の尽きないこと(渇愛)が苦を生起させているという真理.
「滅諦*4」苦を滅することが欲望のなくなった理想の境地であるという真理.
「道諦*5」苦滅にいたるためには八つの正しい修行方法(八正道*6)によらなければならないという真理.すなわち,①正見:正しく法(ありのまま)を見る,②正思:正しく法を思う(思惟),③正語:正しく法を語る,④正業:正しく方を行う,⑤正命:正しい命に生きる,⑥正精進:正しく戎律を犯さぬよう努力する,⑦正念:正しく法を念ずる,⑧正定:正しく心を集中して安定させる

四法印諸行無常諸法無我涅槃寂静一切皆苦

五蘊(ごうん):現象世界を構成する5つの要素

 色(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(=心の作用)・識(=認識・意識)

・無我:自己存在が絶対性として存在することはないという洞察.

 仏教の最も基礎的な現実認識論

 以上が五比丘に語った「初転法輪」の教えであったという.

 初転法輪」の意義

 「初転法輪」によって,五比丘たちは弟子となり,最初のサンガ(僧伽(そうぎゃ))が形成された.これにより三宝(仏,法,サンガ)が整った.これは,仏教成立とも言いかえることが出来る.
  そして釈尊の教え(法の説き方)は,教える相手(聴聞者)の能力・性質に応じた「対機説法*7」であった.

サンガの役割

(1)在家集団の形成による経済的な運営基盤.
 仏弟子と在家者をつなぐ優れた出家者組織であるサンガは,富豪な商人など有力な在家者を獲得した*8
(2)結集による三蔵の成立.
 釈尊入滅により,釈尊の言葉を忠実に編集するため,仏教サンガが結集し,金言である経と律と論の編集がおこなわれ,仏教の伝播がなされた(可能となった).
(3)仏教の発展・分裂,維持装置としてのサンガ.
 サンガはその律を場所や時代により改変していくことにより,分裂・拡張し世界に伝播し次代に伝える役目をなした.

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*1:当時インドで最高の神ブラーフマンに請われて教えを説いたとすることで説法開始(初転法輪)を権威づけたのであろう.

*2:四法印一切皆苦・・・苦(果)

*3:四法印一切皆苦・・・集(因)

*4:四法印涅槃寂静・・・滅(果)

*5:四法印涅槃寂静・・・道(因)

*6:中道の具体的な実践方法のこと.快楽や苦悩など,両極端を避けること,極端にとらわれない実践.

*7:「応病与薬」とも呼ばれている.人それぞれに自分の「中道」がある.

https://youtu.be/GxYWYh9qg0Q

*8:仏教サンガの経済基盤は供養(お布施)だけ.生産活動は一切禁じられている.

成道について

釈尊出家29歳から成道(修行完成)35歳まで〕

 出家したシッダールタ比丘は,二人の師匠*1に入門して禅定*2を極めた.しかし,心の安心を得ることが出来ず二人のもとを離れ6年間に及ぶ苦行を行う.そして菩提樹下で禅定に入り,一切の煩悩(悪魔の誘惑)を断ち切った.
 結果,シッダールタ比丘は,縁起の法の結論に至り,自分がブッダになったことを覚った*3

「縁起」の道理(自分が悟りを開くための教え)

無明(無知) -愛 (欲望) - 取(執着) - 苦(不安・不満)

・この世界のもの一切は,必ず変化し滅びゆく.恒常的常住不変の存在は一切なく,生じたものはまた必ず滅す.すべては縁によって生じ縁によって消滅することを無限に繰り返す*4〔時間的縁起=出来事の原因とその作用によって生じた結果〕.
・すべては縁によって存在するだけでどこにも永遠不滅の実体はない*5〔空間的縁起=存在と存在との関係〕.自己存在が絶対性として存在することはないという洞察,現実認識論.

「非無非有*6」シッダールタ比丘が悟った核心部分である. それまでのインド社会を形成してきたヴェーダ思想バラモン教の教えを根底から揺さぶる内容を秘めた仏陀の誕生である.

バラモン教ヒンズー教)には,宇宙を貫く根本原理として「ブラフマン」(宇宙を支配する原理,不変で絶対永遠の原理)=「梵」があり,私たち個人個人には「アートマン」(個人を支配する原理,不変的な自我・肉体が滅んでも不死不滅)=「我」があって,これが一致したと感ずる境地(解脱)という梵我一如(ぼんがいちにょ)の基本的考えがある.

・これに対して,釈尊諸行無常諸法無我=「アートマン」という永遠不変の自我などは存在しないと説いている(永遠に存在するものなどないにもかかわらず,それがまるで永遠に存在するかのように錯覚して守ろうとしたり,続けようとしたり,執着するから我々人間は苦しむ=苦しみそのものが迷いである). 

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*1:アーラーダ・カーラーマ,ウドラカ・ラーマプトラ.

*2:バラモン教,仏教,ジャイナ教などで行われた古代インド以来の修行法.心をひきしめ,集中して瞑想する.禅もヨーガの中の一方法である.同義語として三昧.

*3:無師独悟.

*4:四法印諸行無常

*5:四法印諸法無我

*6:常住論と断滅論を離れた境地を示す.

日蓮聖人の生涯

日蓮聖人が「法華経の行者」の確信をもち,立教開宗から小松原法難に至る過程〕

1.誕生と修学
 日蓮は鎌倉中期の貞応(じょうおう)元年(1222.2.16)*1安房国(千葉県)に生まれた.12歳で安房国小湊の清澄寺*2で修行し,道善房という師のもとに16歳で出家した.そして十有余年にわたる遊学を終えて,法華経への確信*3を深め清澄寺に戻った.
2.立教開宗
 建長五年(1253年)4月28日,日蓮は清澄の山頂に立ち,昇る朝日にむかい「南無妙法蓮華経」を唱え,正午には人々に新たな教え(法華経釈尊の真意であり浄土念仏ではない)を唱えた.立教開宗(法華経普及の開始)である.このとき日蓮聖人32歳,この前後を期として,名「日蓮」を用いる.日蓮の教えは地元(清澄寺内外)で反発を招き,鎌倉へ上る.
3.鎌倉の草庵
 念仏こそすべての災難の原因という結論は,1260年「立正安国論*4」にまとめられ,前執権北条時頼*5に上呈した.同じ頃,草庵を念仏者に襲撃される *6.受難の始まりである.
4.伊豆流罪
 翌年の弘長元年(1261)には,幕府に捕らえられ,伊豆の伊東に流された.
5.小松原法難
 弘長3年(1263),許された日蓮は鎌倉に帰還,不吉とされた大彗星が現われた年,文永元年(1264)小湊に帰郷する.
 しかし,そこで待ち受けていたのは,地頭の東条景信たちの凶刃であった.弟子たちは必死に防戦するが,多勢に無勢で日蓮も頭に深手を受けた.
 こうした度重なる迫害を乗り越えるなかで,日蓮こそが「日本第一の法華経の行者である」という確信に達した. 

〔他宗を徹底的に批判して,迫害や流罪にも屈せずに信仰を貫いた,龍口法難から入滅に至る生涯(価値観・信念・振る舞い)〕

6.龍口法難
 日蓮聖人は,1271年6月(50歳),続く干天に「7日の間に雨が降れば,私は忍性の弟子になる.もし降らなければ,法華経の信者になれ」と幕府が祈祷を命じた忍性*7と対決する.雨を見ることなく面目を失った忍性は聖人を法論で臨み又,幕府に訴え,1271年9月平頼綱により逮捕,佐渡流罪決定となる.草庵を兵士数百人に襲われ,弾圧は弟子・壇越(だんのつ)にも広がったが,第二の諌言(かんげん)*8や土木殿御返事(ときどのごへんじ)のとおり*9,聖人は当然のことと受け止め一歩も引かなかった *10
 流罪は表向きで,処刑のため瀧口へ護送される.

7.佐渡流罪
 1271年11月聖人は龍口での斬首はまぬがれたものの,佐渡に流される.佐渡での最初の約半年は,死者を葬る場所にある塚原三昧堂で過ごす.念仏者との問答に勝利し(塚原問答),聖人は厳しい環境のなかで開目抄*11を「かたみ」として執筆する.
 1272年4月(51歳),聖人は塚原から一谷へ移される.ここで観心本尊抄*12を執筆する.そして1274年2月(53歳)流罪を許され1274年3月鎌倉に戻る.
 流罪の当初から聖人は,弟子・檀越が幕府に赦免されるよう働きかけることを厳しく禁じていた.佐渡流罪の宗教体験が聖人の宗教意識に決定的な契機をもたらしたこの時期は,(日本第一の)法華経の行者として生きんとする本化の自覚者としての顕証の時代であったと言える.

8.身延入山,入滅
 1274年4月,聖人は平頼綱と会見する.そして,真言密教による蒙古調伏を辞めるよう強く諌めた(第三の諌言)が,受け入れられなかった.聖人は鎌倉を去り,1274年6月身延山に入る.
 1274年10月蒙古が来襲,聖人の予言は的中,自身が上行菩薩であるとの自覚を深め,著述もなした.それが撰時抄*13である,又,旧師への報恩謝徳,報恩抄*14である.
 1282年9月(61歳)健康を損なった聖人は身延を下山し,常陸の湯に向うが途中で断念し,同18日池上宗忠の館に到着する.
 死期の近いことを悟った聖人は同年10月8日,弟子6名を本弟子六老僧*15と定め,後事を託した.
 10月13日法華経の要請に生きた聖人入滅,遺骨は身延山に収められ墓所が営まれた.

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*1:前年に承久の乱

*2:円仁の流れをくむ天台密教

*3:法華経こそ釈尊の真意を解き明かした経典.

*4:第九段:汝早く信仰の寸心を改めて,速かに実乗の一善に帰せよ.然れば則ち三界は皆仏国なり.仏国其れ衰んや.十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや.国に衰微無く,土に破壊無んば,身は是れ安全にして,心は是れ禅定ならん.

*5:鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)

*6:松葉ヶ谷法難の発生

*7:鎌倉時代真言律宗の僧.叡尊(えいぞん)・覚盛(かくじょう)に師事.北条業時(開基は父重時)らに請じられ鎌倉に極楽寺を開山.

*8:三度の諫暁(かんぎょう):①文応元年(1260年)北条時頼に提出した立正安国論(1260年7月撰述)による諌言,②文永8年(1271年)龍口の法難において平頼綱に対する諌言,③文永11年(1274年)佐渡流罪を赦免されて鎌倉に帰り,平頼綱との対面による諌言(撰時抄,1275年撰述).

*9:法華経の文の真実性,法難の正当性

*10:法難は過去世に犯した,『法華経』を誹謗した罪を,現世において消滅させるもの⇒転重軽受の意識,値難忍受の正当性.

*11:1272年2月撰述(人開顕(かいけん)の書):末法の世を法華経から写し出した仏教観,聖人こそが法華経の行者,久遠の仏となって人々を救うと誓った(三大請願).

*12:1273年4月撰述(法開顕(かいけん)の書):釈尊が仏になるまでの修行と,仏になった功徳のすべてが題目に備わり,この題目こそ末法の正法である(三十三字段(自然譲与段))→大曼荼羅を始顕(四十五字法体段).

*13:1275年(54歳)撰述:自分が生きている時を知ることが大切であり,末法という時代を知り,その時こそ法華経を説かなければならない.

*14:1276年(55歳)撰述:旧師道善防の死去をいたみ著したもの.一切衆生を成仏せしめることこそが真実の報恩である.

*15:日昭,日朗,日興,日向,日頂,日持