日蓮聖人の教え - 経典と本尊
仏教の目指すものは,自己が自我を克服し悟りの境地「涅槃」を目指すものである.一方,聖人はまず社会,国家に目を向け,立正安国の答えを釈尊が説いた教えであるという認識に基づき仏教経典*1に求めた.「本当の教主と正しい教えとは」の答えを聖人の遺文に求める.
聖人は各宗派の経典は小乗,権大乗であるため不完全な教えであり,法華経だけが釈尊の本意(一仏乗)が説かれた「正しい教え」であるとした.また,聖人は「本当の教主」本尊は三徳(主・師・親*2 )を具足している釈尊以外にはいないとした.
聖人は,当時日本に存在したすべての仏教宗派を「一代五時図 *3」に書き加え,その代表的祖師と依経の名を示した.
華厳経(三七日)は,声聞・縁覚以下の者は理解できない権大乗教である.華厳経は天台の教判では法華経と同じ円教であるが,別教の教え*4を兼ねている.
阿含経(一二年)は,四諦・十二因縁・六波羅蜜の教えをそれぞれ声聞・縁覚・菩薩の三乗別々に説き示し,阿羅漢の位を得ることを勧めている小乗(声聞=四諦,縁覚=十二因縁)の教えである.
方等時,般若時の経典(三十年)では,方等時は浄土宗,真言宗,禅宗など小乗と大乗を合わせ説き,大乗へ転換させることを目指す方便の教えの権教であり,般若時の教えは,仏教を大乗・小乗に二分する見方を廃止し,一切空を説く権教である.
涅槃経(八十入滅)の特徴は,「追説追泯」であり,取り残された者を救うためにもう一度説き再び開会する雑然なる教えである.
このように,聖人は各宗派を全面否定ではなく不完全,不足するものと説いている.
そして聖人は,法華経(八箇年)こそが釈尊の教えの本意を完全に解き明かしている実大乗の経典であり,その実大乗「正しい教え」に従うことを強く説いた.
一方,「本当の教主」に対する答えは『一代五時鶏図*5 』に示している.特に釈尊については三徳が示されている.
「譬喩品」第三の「今此の三界は皆是れ我が有なり,其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり.而も今此の処は諸の患難多し.唯我一人のみ,能く救護を為す.」について,聖人が51歳(1272*6)で書いた『八宗違目抄』には,“今此の三界は皆是れ我が有なり”に「国主」を見出し,“其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり”に「親」を,“而も今此の処は諸の患難多し.唯我一人のみ,能く救護を為す”に「師」を見出している.三国の中でこの三徳を備えている聖人は釈尊以外いないということである.
さらに聖人は,仏教の中での仏身の勝劣を三身論*7(法身・報身・応身)に各仏身が住んでいる場所である四土*8(同居土・方便土・実報土・寂光土)を対応させて説く.4種の仏身(劣応身・勝応身・報身・法身)を示し,各宗派の本尊が持つ功徳を示すのである.結果天台宗の本尊は三身を備える.
天台宗の本尊は迹門の釈尊(応身は有始有終・報身は有始無終・法身は無始無終)と本門の釈尊(久遠実成の三身は無始無終)である.
よって法華経の釈尊は三身具足の教主・本尊なのである.
*1:8万4千ほどあるといわれている.
*2:仏は,三界はみなこれ我が有として,この世を治めるから「国主」である,一切衆生を教え導くから「師」である,一切衆生はみな我が子なりと憐れむから「親」である(「譬喩品」第三).
*3:天台大師智顗(538-597)により体系化.
*4:天台智顗と別の解釈:釈尊が前仏から学んだ思想で,独自の釈尊の思想ではない.法華経(寿量品)こそ永遠の仏(久遠実成)のあらわれとして現世肯定が語られた.
*5:前半で教判,さらに経典で説かれる仏を整理.
*6:1272年4月,聖人は塚原から一谷へ移される.ここで観心本尊抄(法開顕の書:釈尊が仏になるまでの修行と,仏になった功徳のすべてが題目に備わり,この題目こそ末法の正法→大曼荼羅を始顕)を執筆する.そして流罪を許され鎌倉に戻ったのは1274年3月(53歳)である.
*7:仏の身体として現れた功徳を3つの視点から示したもの.4世紀頃までの中期大乗仏教では,法身(永遠身)と色身(現実身)の二身説だけであったが,5世紀頃までには三身説が成立した.
*8:智顗が提唱した仏土説.