水色の写真館

暮らしの雑文

初転法輪・仏教成立

梵天勧請

 釈尊は成道,覚りを内に秘めてそのまま涅槃に入ろうとしたが,バラモン教の神梵天が,その悟りを他に説くよう勧め,釈尊は自身の涅槃の境地だけではなく説法を決意した*1

初転法輪」の教え(他を指導教化するための教え)

・中道の教え(偏執的妄執にとらわれることなく自由(あるがまま)な状態に自身を置くことの実践,正しいとは離辺「正は中なり」)

四諦の教え(因と果を明らかにした四つの真理「正は等なり」)
「苦諦*2」迷いの生存(現実世界の在りよう)は苦である(行苦)という真理.
「集諦*3」欲望の尽きないこと(渇愛)が苦を生起させているという真理.
「滅諦*4」苦を滅することが欲望のなくなった理想の境地であるという真理.
「道諦*5」苦滅にいたるためには八つの正しい修行方法(八正道*6)によらなければならないという真理.すなわち,①正見:正しく法(ありのまま)を見る,②正思:正しく法を思う(思惟),③正語:正しく法を語る,④正業:正しく方を行う,⑤正命:正しい命に生きる,⑥正精進:正しく戎律を犯さぬよう努力する,⑦正念:正しく法を念ずる,⑧正定:正しく心を集中して安定させる

四法印諸行無常諸法無我涅槃寂静一切皆苦

五蘊(ごうん):現象世界を構成する5つの要素

 色(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(=心の作用)・識(=認識・意識)

・無我:自己存在が絶対性として存在することはないという洞察.

 仏教の最も基礎的な現実認識論

 以上が五比丘に語った「初転法輪」の教えであったという.

 初転法輪」の意義

 「初転法輪」によって,五比丘たちは弟子となり,最初のサンガ(僧伽(そうぎゃ))が形成された.これにより三宝(仏,法,サンガ)が整った.これは,仏教成立とも言いかえることが出来る.
  そして釈尊の教え(法の説き方)は,教える相手(聴聞者)の能力・性質に応じた「対機説法*7」であった.

サンガの役割

(1)在家集団の形成による経済的な運営基盤.
 仏弟子と在家者をつなぐ優れた出家者組織であるサンガは,富豪な商人など有力な在家者を獲得した*8
(2)結集による三蔵の成立.
 釈尊入滅により,釈尊の言葉を忠実に編集するため,仏教サンガが結集し,金言である経と律と論の編集がおこなわれ,仏教の伝播がなされた(可能となった).
(3)仏教の発展・分裂,維持装置としてのサンガ.
 サンガはその律を場所や時代により改変していくことにより,分裂・拡張し世界に伝播し次代に伝える役目をなした.

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*1:当時インドで最高の神ブラーフマンに請われて教えを説いたとすることで説法開始(初転法輪)を権威づけたのであろう.

*2:四法印一切皆苦・・・苦(果)

*3:四法印一切皆苦・・・集(因)

*4:四法印涅槃寂静・・・滅(果)

*5:四法印涅槃寂静・・・道(因)

*6:中道の具体的な実践方法のこと.快楽や苦悩など,両極端を避けること,極端にとらわれない実践.

*7:「応病与薬」とも呼ばれている.人それぞれに自分の「中道」がある.

https://youtu.be/GxYWYh9qg0Q

*8:仏教サンガの経済基盤は供養(お布施)だけ.生産活動は一切禁じられている.

成道について

釈尊出家29歳から成道(修行完成)35歳まで〕

 出家したシッダールタ比丘は,二人の師匠*1に入門して禅定*2を極めた.しかし,心の安心を得ることが出来ず二人のもとを離れ6年間に及ぶ苦行を行う.そして菩提樹下で禅定に入り,一切の煩悩(悪魔の誘惑)を断ち切った.
 結果,シッダールタ比丘は,縁起の法の結論に至り,自分がブッダになったことを覚った*3

「縁起」の道理(自分が悟りを開くための教え)

無明(無知) -愛 (欲望) - 取(執着) - 苦(不安・不満)

・この世界のもの一切は,必ず変化し滅びゆく.恒常的常住不変の存在は一切なく,生じたものはまた必ず滅す.すべては縁によって生じ縁によって消滅することを無限に繰り返す*4〔時間的縁起=出来事の原因とその作用によって生じた結果〕.
・すべては縁によって存在するだけでどこにも永遠不滅の実体はない*5〔空間的縁起=存在と存在との関係〕.自己存在が絶対性として存在することはないという洞察,現実認識論.

「非無非有*6」シッダールタ比丘が悟った核心部分である. それまでのインド社会を形成してきたヴェーダ思想バラモン教の教えを根底から揺さぶる内容を秘めた仏陀の誕生である.

バラモン教ヒンズー教)には,宇宙を貫く根本原理として「ブラフマン」(宇宙を支配する原理,不変で絶対永遠の原理)=「梵」があり,私たち個人個人には「アートマン」(個人を支配する原理,不変的な自我・肉体が滅んでも不死不滅)=「我」があって,これが一致したと感ずる境地(解脱)という梵我一如(ぼんがいちにょ)の基本的考えがある.

・これに対して,釈尊諸行無常諸法無我=「アートマン」という永遠不変の自我などは存在しないと説いている(永遠に存在するものなどないにもかかわらず,それがまるで永遠に存在するかのように錯覚して守ろうとしたり,続けようとしたり,執着するから我々人間は苦しむ=苦しみそのものが迷いである). 

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*1:アーラーダ・カーラーマ,ウドラカ・ラーマプトラ.

*2:バラモン教,仏教,ジャイナ教などで行われた古代インド以来の修行法.心をひきしめ,集中して瞑想する.禅もヨーガの中の一方法である.同義語として三昧.

*3:無師独悟.

*4:四法印諸行無常

*5:四法印諸法無我

*6:常住論と断滅論を離れた境地を示す.

日蓮聖人の生涯

日蓮聖人が「法華経の行者」の確信をもち,立教開宗から小松原法難に至る過程〕

1.誕生と修学
 日蓮は鎌倉中期の貞応(じょうおう)元年(1222.2.16)*1安房国(千葉県)に生まれた.12歳で安房国小湊の清澄寺*2で修行し,道善房という師のもとに16歳で出家した.そして十有余年にわたる遊学を終えて,法華経への確信*3を深め清澄寺に戻った.
2.立教開宗
 建長五年(1253年)4月28日,日蓮は清澄の山頂に立ち,昇る朝日にむかい「南無妙法蓮華経」を唱え,正午には人々に新たな教え(法華経釈尊の真意であり浄土念仏ではない)を唱えた.立教開宗(法華経普及の開始)である.このとき日蓮聖人32歳,この前後を期として,名「日蓮」を用いる.日蓮の教えは地元(清澄寺内外)で反発を招き,鎌倉へ上る.
3.鎌倉の草庵
 念仏こそすべての災難の原因という結論は,1260年「立正安国論*4」にまとめられ,前執権北条時頼*5に上呈した.同じ頃,草庵を念仏者に襲撃される *6.受難の始まりである.
4.伊豆流罪
 翌年の弘長元年(1261)には,幕府に捕らえられ,伊豆の伊東に流された.
5.小松原法難
 弘長3年(1263),許された日蓮は鎌倉に帰還,不吉とされた大彗星が現われた年,文永元年(1264)小湊に帰郷する.
 しかし,そこで待ち受けていたのは,地頭の東条景信たちの凶刃であった.弟子たちは必死に防戦するが,多勢に無勢で日蓮も頭に深手を受けた.
 こうした度重なる迫害を乗り越えるなかで,日蓮こそが「日本第一の法華経の行者である」という確信に達した. 

〔他宗を徹底的に批判して,迫害や流罪にも屈せずに信仰を貫いた,龍口法難から入滅に至る生涯(価値観・信念・振る舞い)〕

6.龍口法難
 日蓮聖人は,1271年6月(50歳),続く干天に「7日の間に雨が降れば,私は忍性の弟子になる.もし降らなければ,法華経の信者になれ」と幕府が祈祷を命じた忍性*7と対決する.雨を見ることなく面目を失った忍性は聖人を法論で臨み又,幕府に訴え,1271年9月平頼綱により逮捕,佐渡流罪決定となる.草庵を兵士数百人に襲われ,弾圧は弟子・壇越(だんのつ)にも広がったが,第二の諌言(かんげん)*8や土木殿御返事(ときどのごへんじ)のとおり*9,聖人は当然のことと受け止め一歩も引かなかった *10
 流罪は表向きで,処刑のため瀧口へ護送される.

7.佐渡流罪
 1271年11月聖人は龍口での斬首はまぬがれたものの,佐渡に流される.佐渡での最初の約半年は,死者を葬る場所にある塚原三昧堂で過ごす.念仏者との問答に勝利し(塚原問答),聖人は厳しい環境のなかで開目抄*11を「かたみ」として執筆する.
 1272年4月(51歳),聖人は塚原から一谷へ移される.ここで観心本尊抄*12を執筆する.そして1274年2月(53歳)流罪を許され1274年3月鎌倉に戻る.
 流罪の当初から聖人は,弟子・檀越が幕府に赦免されるよう働きかけることを厳しく禁じていた.佐渡流罪の宗教体験が聖人の宗教意識に決定的な契機をもたらしたこの時期は,(日本第一の)法華経の行者として生きんとする本化の自覚者としての顕証の時代であったと言える.

8.身延入山,入滅
 1274年4月,聖人は平頼綱と会見する.そして,真言密教による蒙古調伏を辞めるよう強く諌めた(第三の諌言)が,受け入れられなかった.聖人は鎌倉を去り,1274年6月身延山に入る.
 1274年10月蒙古が来襲,聖人の予言は的中,自身が上行菩薩であるとの自覚を深め,著述もなした.それが撰時抄*13である,又,旧師への報恩謝徳,報恩抄*14である.
 1282年9月(61歳)健康を損なった聖人は身延を下山し,常陸の湯に向うが途中で断念し,同18日池上宗忠の館に到着する.
 死期の近いことを悟った聖人は同年10月8日,弟子6名を本弟子六老僧*15と定め,後事を託した.
 10月13日法華経の要請に生きた聖人入滅,遺骨は身延山に収められ墓所が営まれた.

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*1:前年に承久の乱

*2:円仁の流れをくむ天台密教

*3:法華経こそ釈尊の真意を解き明かした経典.

*4:第九段:汝早く信仰の寸心を改めて,速かに実乗の一善に帰せよ.然れば則ち三界は皆仏国なり.仏国其れ衰んや.十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや.国に衰微無く,土に破壊無んば,身は是れ安全にして,心は是れ禅定ならん.

*5:鎌倉幕府第5代執権(在職:1246年 - 1256年)

*6:松葉ヶ谷法難の発生

*7:鎌倉時代真言律宗の僧.叡尊(えいぞん)・覚盛(かくじょう)に師事.北条業時(開基は父重時)らに請じられ鎌倉に極楽寺を開山.

*8:三度の諫暁(かんぎょう):①文応元年(1260年)北条時頼に提出した立正安国論(1260年7月撰述)による諌言,②文永8年(1271年)龍口の法難において平頼綱に対する諌言,③文永11年(1274年)佐渡流罪を赦免されて鎌倉に帰り,平頼綱との対面による諌言(撰時抄,1275年撰述).

*9:法華経の文の真実性,法難の正当性

*10:法難は過去世に犯した,『法華経』を誹謗した罪を,現世において消滅させるもの⇒転重軽受の意識,値難忍受の正当性.

*11:1272年2月撰述(人開顕(かいけん)の書):末法の世を法華経から写し出した仏教観,聖人こそが法華経の行者,久遠の仏となって人々を救うと誓った(三大請願).

*12:1273年4月撰述(法開顕(かいけん)の書):釈尊が仏になるまでの修行と,仏になった功徳のすべてが題目に備わり,この題目こそ末法の正法である(三十三字段(自然譲与段))→大曼荼羅を始顕(四十五字法体段).

*13:1275年(54歳)撰述:自分が生きている時を知ることが大切であり,末法という時代を知り,その時こそ法華経を説かなければならない.

*14:1276年(55歳)撰述:旧師道善防の死去をいたみ著したもの.一切衆生を成仏せしめることこそが真実の報恩である.

*15:日昭,日朗,日興,日向,日頂,日持

二乗の成仏を法華経が説く理由

法華経が成立(1〜2世紀)した時代
 釈尊入滅後約100年(前380入滅とすると紀元前3世紀)頃*1,教団は戒律を守る保守派上座部と柔軟性を求める革新派大衆部*2 に分裂した.その後(紀元前後)上座部においても大衆部においてもさらに枝葉に分裂*3 した.
 同じ紀元前後,阿羅漢*4が完成態であり修行が他者のためではなく自身のためになされる(自利行)部派仏教*5に対して自利としての成仏は,利他行の結果とする *6大乗仏教が起こされる.言い換えれば自身の来世のことのみを目指す部派仏教に対して,大乗仏教は現世での社会的救い*7を求めたと考える.さらに,部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとも考えられる.

「開三顕一」によって示される
 「開三顕一」とは,読んで字の如く「三を開いて一を顕わす」ことであり,声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の間の差別を説いて,これを方便として解消し,「一仏乗」の真実の教えに統一することを言う.
 つまり三乗それぞれの存在価値を認め,一仏乗に包括するのである .
 『方便品第二』では,釈尊は三昧から立ち上がり,自ら説法を開始し,舎利弗に対して「仏の智慧」とは「諸法実相」を知る智慧であり,言辞相寂滅の教えであると説いた.言葉にならない「仏の智慧」へと人々を導くために,釈尊は仮の手段,巧みな方便を使って教えを説いてきた.そして,仏がこの世に出現した目的は,衆生に「仏知見*8」を開かしめ,示し,悟らせ,入らしめんとすることにあると「一大事因縁」を明かした.これまで説いてきた教えは,すべての者を仏へ導くために説いた一仏乗の教えであると.
 つまり三世十方の諸仏はただ一つの重大な因縁・目的をもって,この世に出現したのであり,その唯一の重大な因縁・目的とは,一切衆生を皆,真の成仏に導くためだったと説いたのである.

三車火宅喩(「譬喩品」第三)

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二乗(「声聞」,「縁覚」)の成仏
 大乗仏教は,悟りを開く前の釈尊のみでなく,自ら悟りを求め(自利)他を導く(利他)すべての者を,仏道を歩むもの「菩薩」としている.

 釈尊は,二乗の教え(自分の煩悩を取り去って,阿羅漢となること目指せ)を説き,修行の道に入らせる.しかし二乗の教えは出発点である.自ら「仏の智慧(「諸法の実相」を知る智慧*9)」を目指し,他者にも「仏の智慧」を求める「菩薩」となるよう導いた.そして最終的に自他ともに「仏の智慧」を獲得して仏となるという大乗の教えを説く.
 法華経の「二乗作仏」は,大乗仏教が部派仏教を批判するのでなく,法華経の縁を得た二乗は区別なく輪廻を繰り返しながら必ず成仏する菩薩であるという一乗の教えであり,それを保証,予言*10したものである.
 事は二乗のみではない.この娑婆世界に生をうけている者たちも,はるか過去世において,釈尊から法華経を授けられている*11のである.

長者窮子喩(「信解品」第四)

釈尊の三車火宅の譬喩を聞いて,四大声聞が譬喩をもって確認.

衣裏繋珠喩(「五百弟子授記品」第八)

法華経の「菩薩行」
 法華経に特徴的なことは,法華経そのものへの信を説く点にある.「菩薩行」の根本に求められるのは,すべての者は成仏できるということに疑いを抱かない法華経への信である.
 信じることによって,はじめて受け入れることができるのである(『譬喩品第三』).
 人間の内面的営みである信を可視化するには,行為・実践による表現が必要である.その実践は,「五種法師:受持(教えや戒律を受けてそれを守ること),読(経典を見て唱えること),誦(記憶している経典唱えること),解説(他者に解説すること),書写(写経すること)」として示される(『法師品第十』).
 つまり,「五種法師」は法華経への信を根本においた利他行,菩薩行である.
 釈尊の唯一の目的である「一大事因縁」をみずからの「菩薩行」(=「五種法師」)において実践する者を「法師」「如来師」と位置づけている(『法師品第十』).
 これらの実践は,釈尊の救済活動を「現在化*12」しようとする営みであり,「法師」「如来師」は釈尊を永遠化する者である.法華経における最大のメッセージである「如来使」たれは,菩提樹下で悟りを開いて仏陀となった釈迦個人の存在(在世)を超えた“永遠に救済活動を行い続ける存在”を呼びかけたものである.

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法華経28品の読み方
序品第1:(じょほんだいいち)
方便品第2:(ほうべんぼ「ほ」「ぽ」んだいに)
譬喩品第3:(ひゆほんだいさん)
信解品第4:(しんげほんだいし)
薬草喩品第5:(やくそうゆほんだいご)
授記品第6:(じゅきほんだいろく)
化城喩品第7:(けじょうゆほんだいしち)
五百弟子受記品第8:(ごひゃくでしじゅきほんだいはち)
授学無学人記品第9:(じゅがくむがくにんきほんだいく)
法師品第10:(ほっしほんだいじゅう)
見宝塔品第11:(けんほうとうほんだいじゅういち)
提婆達多品第12:(だいばだったほんだいじゅうに)
勧持品第13:(かんじほんだいじゅうさん)
安楽行品第14:(あんらくぎょうほんだいじゅうし)
地涌出品第15:(じゅうじゆじゅつほんだいじゅうご)
如来寿量品第16:(にょらいじゅうりょうほんだいじゅうろく)
分別功徳品第17:(ふんべつくどくほんだいじゅうしち)
随喜功徳品第18:(ずいきくどくほんだいじゅうはち)
法師功徳品第19:(ほっしくどくほんだいじゅうく)
常不軽菩薩品第20:(じょうふきょうぼさつほんだいにじゅう)
如来神力品第21:(にょらいじんりきほんだいにじゅういち)
嘱累品第22:(ぞくるいほんだいにじゅうに)
薬王菩薩本事品第23:(やくおうぼさつほんじほんだいにじゅうさん)
妙音菩薩品第24:(みょうおんぼさつほんだいにじゅうし)
観世音菩薩普門品第25:(かんぜおんぼさつふもんほんだいにじゅうご)
陀羅尼品第26:(だらにほんだいにじゅうろく)
妙荘厳王本事品第27:(みょうしょうごんのうほんじほんだいにじゅうしち)
普賢菩薩勧発品第28:(ふげんぼさつかんぼつほんだいにじゅうはち) 

*1:ここまでが原始仏教(初期仏教).

*2:大乗仏教の源流のひとつ

*3:部派仏教の時代,後に小乗仏教と変称→アショーカ王(紀元前3世紀北インドを統一して大帝国を造る)の時代に破僧の定義が変更されたことで,他の部派の存在も承認.

*4:仏になるという発想自体思いもよらない傲慢なものであり,仏と重なるのは,解脱を達成して涅槃の境地という点のみ.

*5:アビダルマ仏教ともいう.

*6:菩薩としての利他行がない限り仏になれない.

*7:菩薩の場合は,輪廻はむしろそこにとどまるべき対象である.

*8:「仏の智慧」に基づいた真実の知見

*9:言辞相寂滅

*10:「記別」を授けること=「授記」

*11:宿世の因縁

*12:現実の中に現れ,実際に人々に働きかける.

釈尊(誕:紀元前5世紀頃)の時代に形成されていた古代インド社会について

古代インド社会の特徴とバラモン教との関係

カースト制度*1について
 古代インドで生まれた独特の職業身分制度のことで,「ヴァルナ」「ジャーティ」と呼ばれている.バラモン教により形成された職業身分制度「ヴァルナ*2」は,大別すると4つの階級が存在し,上からバラモン(司祭者・聖職者),クシャトリヤ(王族・武士),ヴァイシャ(商人・農民),シュードラ(隷属民・農民)に分けられる *3.そして社会単位を形成したジャーティ*4は,時代の変遷とともにそれぞれの職業で細分化したものである*5.15世紀には約2,000種以上の職業による社会構造を形成していた.
 始まりは,紀元前15世紀頃に宗教的な民族であるアーリアンが古代インドに移住(侵入は少なくとも数次に分かれていたと推定される*6)するときに,征服層が3つのヴァルナを作り,先住民であるドラヴィダ人を当初の下位のヴァルナとしたことがきっかけである(紀元前15〜10世紀頃500年間に徐々に編まれていったと考えられている).

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バラモン教との関係
 アーリアンたちの宗教観がバラモン教である.遅くとも紀元前10世紀頃に成立した(後4世紀ヒンドゥー教の定着)と見なされているリグ・ヴェーダは最古の聖典であり,古代のインド思想はヴェーダ思想と非ヴェーダ思想に大別出来る.ヴェーダの権威を認める思想が,古代インドでの正当な思想であり,バラモン教の根幹である.バラモン教は,「梵我一如*7」を基本(最高)原理とし,インド社会の頂点に君臨していた.

 一方で,貨幣経済の浸透により自由な風潮の下で*8,従前のヴェーダによるバラモン教を離れた思想家「沙門*9」が出現した.この中の一人が釈尊である.仏教はヴェーダの権威を認めないので,非バラモン教である.ジャーティとヴァルナによる職業身分制度に反撥する動きが現れたのである.その後,バラモン教に取り込まれた輪廻・業,バラモン教が目指す解脱といった思想*10は仏教にも大きな影響を及ぼした(仏教では,輪廻が教義の一部のように誤解されるが,古代インドから信じられ,社会常識化した輪廻を直接否定せず,方便(手段)として認め,これを苦と捉え,これから解脱することを教義とした.輪廻を否定的要素と見なした).

輪廻:ヒンドゥー経では輪廻を教義の根幹とし,信心により来世(次の輪廻)でカーストが上がると信仰されている.

 業*11:行為のこと.輪廻観と結びつく.

解脱:束縛(輪廻・業)から離れる,脱出すること.

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*1:16世紀にゴアを占領したポルトガル人が,インド社会に見られるそのような集団を,ヴァルナとジャーティの区別をすることなく,ポルトガル語で種族・家系や血統・純血を意味するカスタという語を用いて表し,それが後に英語のカーストとなった.したがって,カーストという表現では,ヴァルナとジャーティは区別されずに,その両者が混同されることになる(現代・インドフォーラム,2010).

*2:「色」を意味する.

*3:征服者アーリアンと服従先住民族身分制度,そのころはヴァイシャがアーリアンの平民,シュードラが隷属させら先住民族を意味していた.

*4:生まれ.

*5:立法書「マヌ法典」に織り込まれた(BC.2-AC.2編纂).

*6:BC.15-BC.13頃.

*7:ウパニシャッド(「師の近くに座す」という意味)に述べられている哲学.

*8:部族社会から市民社会へ:古代都市の成立により,アーリアンの生活は農村から都市へ政治や経済の中心が移動した.

*9:「努力する人」という意味.

*10:BC.800-BC.500頃.

*11:仏教の「業」について:「業」は行動なのか,知識なのか,心なのか,考え方なのか,生老病死とどのように関わっているのか⇒『岩波仏教辞典』(中村元〔ほか〕編 岩波書店)に「業と輪廻」「業の分類」「業と縁起」の3つの観点から簡潔な解説がある.

あの頃のように.

話は今から12年前に遡ります.

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おじいさんとおばあさん夫婦は,近くの専門学校の学生寮からスーパーへ学生同士が賑やかに買い物にいく中,いつも一人で下を向いて買い物に行く一人の男子学生に気づきました.
ある時,気になりおばあさんが声をかけると,県外から来て下宿している同じ学生寮の学生でした.
別に一人でいることが寂しいわけでもない様子で優しい笑顔でゆっくりと話すちょっぴり風変わりな青年でした.話を聞くと偶然にも,20歳の青年は,夫婦と離れて暮らす初孫と同じ誕生月,同年齢でした.

それからは,おじいさんは青年を家に招き入れ,おばあさんは食事をご馳走し,まるで孫と過ごしているかような時間を過ごしました.
おじいさんの四十九日の法要を終えた二日後,31歳になった青年は,車を走らせ突然おばあさんの前に現れました.そして仏壇の前で長い間座っていました.
おじいさんの遺影を見て「変わらないね,少しシワが増えただけだ」と言いました.

おばあさんがお茶の用意をしようとすると,立ち上がりお茶を運ぶ手伝いをしました.ちゃんと食事をしているか心配をするあの頃のように優しいままの青年でした.
青年は仕事を得て,ご両親と幸せに暮らしているようです.
帰り際,「今度メールするね」と青年は言いました.おばあさんが困った顔をすると,「手紙を書くね」そう行って青年は立ち去りました.

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季節はもう秋に...

https://youtu.be/CJyj-HZoDiU

 

dvipdfmxで久しぶりにヒラギノとのコラボ設定(美しすぎて君が恐い♪...).

 f:id:noginogikun:20160818115318j:image

cd /usr/local/texlive/2016basic/texmf-dist/scripts/cjk-gs-integrate
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sudo mktexlsr
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sudo updmap-sys --setoption kanjiEmbed hiragino-elcapitan-pron

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スタンバイ中.

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切り替えは
kanji-config-updmap nofont
でリセットして
kanji-config-updmap

で指定する.

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 少しだけ秋の気配が.