二乗の成仏を法華経が説く理由
法華経が成立(1〜2世紀)した時代
釈尊入滅後約100年(前380入滅とすると紀元前3世紀)頃*1,教団は戒律を守る保守派上座部と柔軟性を求める革新派大衆部*2 に分裂した.その後(紀元前後)上座部においても大衆部においてもさらに枝葉に分裂*3 した.
同じ紀元前後,阿羅漢*4が完成態であり修行が他者のためではなく自身のためになされる(自利行)部派仏教*5に対して自利としての成仏は,利他行の結果とする *6大乗仏教が起こされる.言い換えれば自身の来世のことのみを目指す部派仏教に対して,大乗仏教は現世での社会的救い*7を求めたと考える.さらに,部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとも考えられる.
「開三顕一」によって示される
「開三顕一」とは,読んで字の如く「三を開いて一を顕わす」ことであり,声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の間の差別を説いて,これを方便として解消し,「一仏乗」の真実の教えに統一することを言う.
つまり三乗それぞれの存在価値を認め,一仏乗に包括するのである .
『方便品第二』では,釈尊は三昧から立ち上がり,自ら説法を開始し,舎利弗に対して「仏の智慧」とは「諸法実相」を知る智慧であり,言辞相寂滅の教えであると説いた.言葉にならない「仏の智慧」へと人々を導くために,釈尊は仮の手段,巧みな方便を使って教えを説いてきた.そして,仏がこの世に出現した目的は,衆生に「仏知見*8」を開かしめ,示し,悟らせ,入らしめんとすることにあると「一大事因縁」を明かした.これまで説いてきた教えは,すべての者を仏へ導くために説いた一仏乗の教えであると.
つまり三世十方の諸仏はただ一つの重大な因縁・目的をもって,この世に出現したのであり,その唯一の重大な因縁・目的とは,一切衆生を皆,真の成仏に導くためだったと説いたのである.
三車火宅喩(「譬喩品」第三)
二乗(「声聞」,「縁覚」)の成仏
大乗仏教は,悟りを開く前の釈尊のみでなく,自ら悟りを求め(自利)他を導く(利他)すべての者を,仏道を歩むもの「菩薩」としている.
釈尊は,二乗の教え(自分の煩悩を取り去って,阿羅漢となること目指せ)を説き,修行の道に入らせる.しかし二乗の教えは出発点である.自ら「仏の智慧(「諸法の実相」を知る智慧*9)」を目指し,他者にも「仏の智慧」を求める「菩薩」となるよう導いた.そして最終的に自他ともに「仏の智慧」を獲得して仏となるという大乗の教えを説く.
法華経の「二乗作仏」は,大乗仏教が部派仏教を批判するのでなく,法華経の縁を得た二乗は区別なく輪廻を繰り返しながら必ず成仏する菩薩であるという一乗の教えであり,それを保証,予言*10したものである.
事は二乗のみではない.この娑婆世界に生をうけている者たちも,はるか過去世において,釈尊から法華経を授けられている*11のである.
長者窮子喩(「信解品」第四)
・釈尊の三車火宅の譬喩を聞いて,四大声聞が譬喩をもって確認.
衣裏繋珠喩(「五百弟子授記品」第八)
法華経の「菩薩行」
法華経に特徴的なことは,法華経そのものへの信を説く点にある.「菩薩行」の根本に求められるのは,すべての者は成仏できるということに疑いを抱かない法華経への信である.
信じることによって,はじめて受け入れることができるのである(『譬喩品第三』).
人間の内面的営みである信を可視化するには,行為・実践による表現が必要である.その実践は,「五種法師:受持(教えや戒律を受けてそれを守ること),読(経典を見て唱えること),誦(記憶している経典唱えること),解説(他者に解説すること),書写(写経すること)」として示される(『法師品第十』).
つまり,「五種法師」は法華経への信を根本においた利他行,菩薩行である.
釈尊の唯一の目的である「一大事因縁」をみずからの「菩薩行」(=「五種法師」)において実践する者を「法師」「如来師」と位置づけている(『法師品第十』).
これらの実践は,釈尊の救済活動を「現在化*12」しようとする営みであり,「法師」「如来師」は釈尊を永遠化する者である.法華経における最大のメッセージである「如来使」たれは,菩提樹下で悟りを開いて仏陀となった釈迦個人の存在(在世)を超えた“永遠に救済活動を行い続ける存在”を呼びかけたものである.
法華経28品の読み方
序品第1:(じょほんだいいち)
方便品第2:(ほうべんぼ「ほ」「ぽ」んだいに)
譬喩品第3:(ひゆほんだいさん)
信解品第4:(しんげほんだいし)
薬草喩品第5:(やくそうゆほんだいご)
授記品第6:(じゅきほんだいろく)
化城喩品第7:(けじょうゆほんだいしち)
五百弟子受記品第8:(ごひゃくでしじゅきほんだいはち)
授学無学人記品第9:(じゅがくむがくにんきほんだいく)
法師品第10:(ほっしほんだいじゅう)
見宝塔品第11:(けんほうとうほんだいじゅういち)
提婆達多品第12:(だいばだったほんだいじゅうに)
勧持品第13:(かんじほんだいじゅうさん)
安楽行品第14:(あんらくぎょうほんだいじゅうし)
従地涌出品第15:(じゅうじゆじゅつほんだいじゅうご)
如来寿量品第16:(にょらいじゅうりょうほんだいじゅうろく)
分別功徳品第17:(ふんべつくどくほんだいじゅうしち)
随喜功徳品第18:(ずいきくどくほんだいじゅうはち)
法師功徳品第19:(ほっしくどくほんだいじゅうく)
常不軽菩薩品第20:(じょうふきょうぼさつほんだいにじゅう)
如来神力品第21:(にょらいじんりきほんだいにじゅういち)
嘱累品第22:(ぞくるいほんだいにじゅうに)
薬王菩薩本事品第23:(やくおうぼさつほんじほんだいにじゅうさん)
妙音菩薩品第24:(みょうおんぼさつほんだいにじゅうし)
観世音菩薩普門品第25:(かんぜおんぼさつふもんほんだいにじゅうご)
陀羅尼品第26:(だらにほんだいにじゅうろく)
妙荘厳王本事品第27:(みょうしょうごんのうほんじほんだいにじゅうしち)
普賢菩薩勧発品第28:(ふげんぼさつかんぼつほんだいにじゅうはち)