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天台の教え (八教)

 天台大師は釈尊の説法を五時八教によって判釈した.この中で説法の形式・仕方を分類したものを化儀の四教(頓(とん)・漸(ぜん)・秘密(ひみつ)・不定(ふじょう))といい,内容・教理の面を分類したものを化法の四教(蔵(ぞう)・通(つう)・別(べつ)・円(えん))という.これらはよく薬の調合の仕方・処方(化儀)と薬味・効用(化法)に喩えられる.

化儀の四教
 釈尊は真理を頓(ただ)ちに説き示したり(頓*1),浅い所から深い所へと漸次(ぜんじ)に説いたり(漸*2),また同じ法座にいながら聴く者の能力によって説法の内容が異なって聞こえる,利益が異なる(同聴異聞)というような場合,他の誰がどのような説法を聞いているのかわからないようにして個々に対して法を説き(説座を異にしてして説く方法)衆生それぞれに別々の利益を生ぜしめる秘密不定教(秘密*3)を説いたり,不定教(ふじょうきょう)(不定*4)を用いたり(同じ一座であってもその中で聴衆一人一人に応じて説く方法)した.五時の法華涅槃時には通じていない.

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化法の四教
「化法の四教」は三蔵教・通教・別教・円教で,端的に言えば,三蔵の教えは小乗の教えで,通教は三乗通学の(声聞・縁覚・菩薩に共通した大乗初段階の)教えである.別教は菩薩への教えであり円教は同じ菩薩への教えであるが円融相即・無礙が根幹であり,最高完全なる教えで別教と区別される.

(蔵教 – 小乗の教え)
蔵教は現象界を明らかにする.

蔵教とは三蔵教の略称で,三蔵とは経(経典)・律(戒律)・論(解説)をいう.小乗教を指している.蔵教は声聞・縁覚の二乗を正機とし,菩薩を傍機として説かれた教えである.その教義は,声聞には生滅の四諦*5,縁覚には十二因縁,菩薩には六度六波羅蜜)と別々の機根に応じ修行させようとするものである.この世(二十五有*6・六道*7(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)・三界*8(欲界*9・色界*10・無色界*11))は生死の苦に束縛されていて(苦諦),この世の苦の原因は(前世における)誤った見解・煩悩(見思惑 )と,そこからもたらされる業(行い)の報い(業因)によるものであるとし(集諦),この誤った見解・煩悩を断ずるためには空理を悟るべきことを説いている(滅諦).
 蔵教の空理観は一切の事物を構成要素に分析していき,それらは因縁が尽きれば滅して空になると観る「析空観(しゃくくうかん)*12」を説いている.見思惑という誤った見解・煩悩と業を断尽し(道諦*13),再び二十五有六道三界の苦界に生を受けることがなくなるということを蔵教の悟り(涅槃)としている.これらの誤った見解・煩悩は,肉体があるかぎり心を惑わすものであるから,身を灰にし心智を滅失することによって,はじめて真の涅槃に入ることができるとされている(無余涅槃*14).
 蔵教の教えは目に見える世界に限られている,有為*15の現象界のなかで生滅をみようとする真理である.

 見惑(理論的な迷い)を三界(欲界・色界・無色界 )に分ける.また各三界をそれぞれ四諦に分ける.見惑(五見・五煩悩)は,三(界)×四(諦)で十二に分けられ,これら十二を見惑の五煩悩のうち幾つかで分ける.また,五見のうち幾つかで分ける.合わせて欲界32・色界28・無色界28の八十八となる(八十八使).
 思惑(実践的習慣的迷い)も三界と思惑の四惑(貪・瞋・癡・慢)のうち幾つかで分ける.分け方は欲界(貪・瞋・癡・慢),色界(貪・癡・慢),無色界(貪・癡・慢)合わせて十となる.こういった分類の仕方で八十一品となる.

(通教 – 小乗から大乗に転進させるための教え)
通教は空観を明らかにする.

 通教は,蔵教では傍機であった菩薩を正機とし,声聞・縁覚を傍機として説いた権大乗の教えである.通教の通とは,前の蔵教に通同し,後の別教と円教にも通じるという意味である.通教では声聞・縁覚・菩薩の三乗共に共通の修行である.
 通教では三界の諸法は,諸法がそのままで空であると観ずる観法「体空観*16」を説いている.蔵教では三界のすべての存在を肯定し,それを空と観ずるために析空観を用いるが,通教では三界六道の苦界を滅するために,始めからすべての存在を否定し,現象界のすべては妄想から生じる幻影であるとするために体空観を用いる.『般若心経』がこの通教を代表する.

(別教)
別教は真如と無明を明らかにする.

 別教は,菩薩のみに説かれる(大乗に特有・特別の)教えで,前の蔵・通二教や後の円教とも異なることからその名がある.前の二教が空理のみを説くのに対し,広く空・仮・中の三諦を明かす.空理とは,あらゆる存在には固定した実体がないこと「空諦」をいい,「仮諦」とは,あらゆる存在は因縁によって仮りにその姿が現れていることをいい,「中諦」とは,あらゆる存在は空でもなく仮でもなく,しかも空であり仮でもあるという,空・仮の2辺(二項対立)を超越したところをいい,真実があるとする.
 別教で説かれる空・仮・中の三諦は互いに融合することなくそれぞれが隔たっていることから「隔歴(きゃくりゃく)の三諦」といわれ,一切の事物について差別のみが説かれて融和が説かれていない.ここで説かれる中諦は,空・仮の2辺を離れた単なる中道であるため,これを「但中(たんちゅう)の理」という.また別教では,蔵・通二教で説かれた三界(界内の中の生死輪廻)の外(界外),現象を超越いたところにも迷いが有るとして真如*17(普遍的真理)と無明(最も根本的な煩悩)を説く.六道のほかに,四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)を含む十界すべての因果を明かしているが,それぞれの境界は隔別している.
 このように別教は,三諦円融の義もなく、十界の融通・互具の義もない教えなのである.代表的なものとして,『華厳経』があげられる.

(円教)
円教は,円融,円妙・円満・円足・円頓の教えという意味である.
 空・仮・中の三諦は孤立することなく,一諦の中にそれぞれ三諦をそなえて,円融相即の一心三観である.ここで説かれる中道は別教の「但中」に対し「不但中」という.
 また,円教においては十界互具が説かれ、九界の生命も仏界に具足し,仏界の生命もまた九界の衆生に具有することが明かされている.三諦円融・十界互具の法門は,法華経が説かれてはじめて真実のものとなり,天台大師はこの法華経によって理の一念三千の法門を示した.
 この円教に最もかなうものとして『法華経』があげられる.宇宙法界の一切が円満に融合した当体であることを明かし,理想と現実の相即した総合的な教えであるからである. 

五時判と八教判の関係図

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*1:華厳経の説法がそれにあたるとされる.

*2:小乗から大乗にかけての説法.

*3:得るところの功徳は不定:諸教

*4:それぞれにその機根に応じた(同聴異聞)功徳・利益を得せしめる方法:諸教

*5:諸法は因縁和合によって現じたとし,諸法を実有の如く取り扱う原理の上に四諦を説く.通教:無性の四諦,別教:無量の四諦,円教:無作の四諦

*6:有:存在

*7:衆生自らが作った業により生死を繰り返す六つの世界.

*8:有情(生きているもののこと.)が住んでいる器世間を区別.

*9:欲望(色欲・貪欲・財欲など)にとらわれた生物が住む世界.

*10:欲望を離れた清浄な物質の世界.

*11:欲望も物質的条件も超越し,ただ精神作用にのみ住む世界.

*12:析とは分析のことであり,諸法は生滅無常の事物であることを,先ず諸法を一々分析した後に空を観ずる観法.

*13:煩悩・業を滅するために修する戒・定・慧の三学.

*14:肉体をなくした悟りの状態,この世に生存している間に得られる涅槃は肉体が有るので有余涅槃という.

*15:さまざまな因果関係・因縁のうえに存立する現象.

*16:すべてのものは因縁によってあらわれているが,それは仮体であり,有るようで実は空であると観ずる観法.

*17:釈尊が観察して発見した真理・普遍的真理・ありのままのすがた.