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法華経における最大のメッセージである「如来使たれ!」について

如来使たれ!
 法華経に特徴的なことは,法華経そのものへの信を説く点にある.「菩薩行」の根本に求められるのは,すべての者は成仏できるということに疑いを抱かない法華経への信である.
 信じることによって,はじめて受け入れることができるのである(『譬喩品第三』).
 人間の内面的営みである信を可視化するには,行為・実践による表現が必要である.その実践は,「五種法師:受持(教えや戒律を受けてそれを守ること),読(経典を見て唱えること),誦(記憶している経典を唱えること),解説(他者に解説すること),書写(写経すること)」として示される(『法師品第十』).
 つまり,「五種法師」は法華経への信を根本においた利他行,菩薩行である.
 釈尊の唯一の目的である「一大事因縁*1」をみずからの「菩薩行」(=「五種法師」)において実践する者を「法師」「如来師」と位置づけている(『法師品第十』).
 これらの実践は,釈尊の救済活動を「現在化*2 」しようとする営みであり,「法師」「如来師」は釈尊を永遠化する者である.法華経における最大のメッセージである「如来使たれ!」は,菩提樹下で悟りを開いて仏陀となった釈迦個人の存在(在世)を超えた“永遠に救済活動を行い続ける存在”を呼びかけたものである.
 「一大事因縁」を「現在化」する「法師」「如来師」の活動がない限り,釈尊は,過去の仏となってしまう.「法師」「如来師」たることをみずから決断し,実践し続けることのみが,釈尊の永遠性を保証するからである.
 そして自分が今も救われずここに存在することの「罪*3」 の自覚“もう二度と背くまい”が固い決意を生み出す.また,この悪世に生まれてきたのは,過去世に自らが立てた「誓願」によるものである(『法師品第十』).
 「罪と誓願」,自己の過去世における真実と受け止めることは,「如来使」たることの決断と勇気を与えてくれる.

 「無始の成仏」「六或示現」について
(「無始の成仏」)
 仏の寿命は無限であり,永遠の生命であること「永遠の仏」を説いたのが『如来寿量品第十六』である.
 釈尊は,無限といってもよいほど遠い過去,久遠の昔にすでに成仏した(久遠実成)ことを明らかにする.近きを開いて遠きを顕かにするという「開近顕遠*4」とは,このことである.また,目に見える仮の姿(歴史上の釈尊他)をした仏が「垂迹」で,久遠の仏が「本地」であり,「開迹顕本」ともいう.そして無限の過去における成仏から今に至り,永劫の未来にわたって救済活動を続ける,「永遠の仏」であることが語られていく.
 娑婆世界で成仏した釈尊が「永遠の仏」であるならば,娑婆世界は「永遠の仏」が常住している世界であり,「永遠の浄土」なのである.しかし「自我偈」によると娑婆世界の「顛倒の衆生*5」は苦しみに満ちている.
 釈尊は「顛倒の衆生」をそのままにはしておかない.「顛倒の衆生」への永遠の救済活動の展開は,『如来寿量品』に「六或示現」という形で示されている.
(「六或示現」)
 釈尊は様々な姿を示し,様々な手段を講じて救いへと導く.分身の諸仏(阿弥陀仏薬師如来などさまざまな仏,三世十方の仏)とは,永遠の命をもった本仏釈尊である.すべての個別的仏は,久遠実成本師釈迦牟尼仏の分身であり,永遠の

仏としての釈尊に統一された.

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*1:三世十方の諸仏はただ一つの重大な因縁・目的をもって,この世に出現したのであり,その唯一の重大な因縁・目的とは,一切衆生を皆,真の成仏に導くためだったと説いた(『方便品第二』).

*2:現実の中に現れ,実際に人々に働きかける.

*3:法華経では「罪」は二乗に関してのみ語られるが他人事として捉えるべきではない.

*4:「近」は菩提樹下で悟りを得た釈尊のこと,歴史上の釈尊を,「遠」は『如来寿量品』で顕かにされる五百億塵点劫の昔に成仏した釈尊のことを示す.

*5:物事をありのまま見ることができないこと.