水色の写真館

暮らしの雑文

名僧 日親上人について

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布教の特徴
 日親は上総国(千葉県)の埴谷の妙宣寺の日英について出家し,後継者の一人としてエリートの道を歩む.妙宣寺は中山法華経寺を本山とする中山門流である.日祐(千葉胤貞の猶子*1)が本山の第三世貫主に着任し豪族千葉氏との深い関係が生じる.
 日祐は多くの信仰の存在を容認するが,日親はそれを認めず,日祐・千葉氏を厳しく批判したため中山門流から破門された.
 日親は,他宗の僧へ論争をしかけ,将軍に諫暁(1439)を行った.そのため激しい法難を度々受けたが純粋(不受不施)な法華信仰を生涯貫いた.

 日親(1407-1488)は京都四条綾小路に本法寺*2を開いた(1436と伝えられる).日親は大規模になった寺内の秩序を整えるため本法寺法式を定めた.

本法寺法式(1484)
一 朝昼晩の三回にわたって行われる勤行に欠席してはならない、とくに朝の勤行には決して欠席しないように。もし朝の勤行に一度欠席したら、所定の罰金を出さなければならない、読経が始まって後来た者は、所定の半分の罰金を支払うこと。
一 本堂の御番衆は、香・花・灯明を一年中絶やさぬこと。
一 本法寺で法談がある時は、衆徒として門外に出てはならない、どうしてもしなくてはならない所要があれば、その前後に行うこと。
一 行先を知らせずに他所に宿泊してはならない、白昼も同じである。
(十四箇条省略)

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日親上人血染めの宝塔(書きかけの御題目) 

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*1:武家と寺院の結びつきは古代よりあった.

*2:室町〜江戸期の日蓮宗の重要な資が護持されている.