資料(漢文)講読,書き下し
(資料購読)「日朗*門流起請文」元応二年(1320)京都妙顕寺所蔵
本門寺日朗聖人御遷化之後、為二其御門弟法門弘通意趣一、守二本所遺跡一、可レ為二一味同心一、自今以後、若於二一人一有二法門不審一者、衆徒令二一同一相互令二論説落居一之後、可レ弘二通其意趣一者也、仍雖二尽未来際一、妙法弘通為レ不二断絶一、令二連書一之状也、若於レ違二背此旨趣一者、法華経中之三宝並大聖人、朗聖人御罰其身可二罷蒙一者也、仍誡之状、如件
元応二年太歳庚申三月二日
(省略)(花押)
此外護中臈・若輩不レ可二勝計一、不及二委細註一
「池上本門寺日朗聖人御遷化の後,われわれ師弟は法門布教の考えをなし,本所遺跡を守り,心を一つになすべく,今から後,もし一人でも法門が疑わしきことあらば,衆徒は一同に,相互に論説落居せしむ後,その考えの普及をすべきこと,なお未来の果てに至るといえども,断絶することなく妙法弘通をなす.この状を連署せしむ,もしこの趣旨に背くようなことあらば,法華経中の三宝(仏法僧)並びに大聖人,日朗聖人により,その身に御罰を受けるべし,それゆえ戒めの状,件の如し」
「さらに中位に位する者・若輩をまもり,勝計すべからず,委細補足説明に及ばず」
*日朗は文保2年(1318)に比企谷妙本寺(鎌倉市)と池上本門寺を日輪に譲った.日朗は元応2年(1320)七六歳にて示寂し,六七日忌にあたる3月2日にその弟子らは起請文を連署した.すなわち,池上本門寺は日蓮が歿した地であり,かつ遺骸を荼毘にふした場所であったことから,弟子たちにとってここは本所遺跡としての性格を持っていた.弟子たちは,師匠の寺院や教義を守り続けた.
【漢文】
漢文とは:古代中国人(一般に清代以前の中国人)が漢字を用いて書いた文章や詩.
※ 漢字のみの表記(白文)
※ 基本の語順
(主語)(述語)(目的語・ヲニト)
日本では:白文に,訓点(句読点,返り点,送り仮名)→訓読文
※ 送り仮名(歴史的仮名遣い,カタカナ表記,漢字の右下)
書き下し文:漢文を,返り点と送り仮名に従って書き下したもの
※ 助詞・助動詞,置き字,再読文字に注意
(1)書き下し文は,漢字とひらがなで書く
(2)助詞・助動詞は書き下し文に漢字で書かない
助詞の例:の・か・や・より・と・かな・は・のみ
助動詞の例:ず・しむ・る・らる・なり・べし・ごとし
(3)置き字は書き下し文に書かない
・書き下し文発展法則
★ 再読文字の2回目の読みはひらがなで書く
・返り点(漢字の左下)
基本は上から下へ読む(返り点がない文字を読む),返り点がある場合は下から上へ読む.(基本 ↓方向に順番をつける.)
レ点:一文字で返る時(下の一文字から上の一文字に返って読む)
一二点:それ以外返る時(一まで行ってから二へもどる)
※ 二字またはそれ以上へだてて返って読む
※ 二つ以上「一二点」がある場合は,セットを作って考える
上下点:一二点を間に挟んで返る時
・返り点(漢字の左下)の発展法則
(1)一点とレ点,上点とレ点の組み合わせ
※ 先にレ点に従って読み,次に一二点や上下点にうつる
(2)二字熟語(「- ハイフン」で繋がった単語)に帰る時は二文字の間に返り点を付ける
・置き字(而・於・乎・于・矣・焉・也・兮)
前置詞・終尾詞・接続詞
順序をつけない漢字,読まない
・再読文字(未・将・且・当・応・宜・須・猶・盍)
未:いまだ〜ず(読み方)
いまだ 未然形 + ず
将:まさに〜んとす
且: 同上
まさに 未然形 + んとす
当:まさに〜べし
応: 同上
まさに (基本的に)終止形 + べし 例外(ラ変連体形)
須:すべからく〜べし
すべからく (基本的に)終止形 + べし
宜:よろしく〜べし
よろしく (基本的に)終止形 + べし
猶:なほ〜(の)ごとし
名詞+の
動詞(連体形)+が
盍:なんぞ〜ざる
なんぞ 未然形 + ざる