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日蓮聖人の教え - 人間観

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 仏教の目指すものは,自己が自我を克服し悟りの境地「涅槃」を目指すものである.一方,聖人はまず社会,国家に目を向け,立正安国の答えを『法華経』に不退転の信仰をもって向かい合いそれを求めた*1.社会がよくなるためにはどうしたら良いか,そのために私たち人間はなにをすべきかという問に対する答えを聖人の遺文に求める.

十界互具と一念三千
 聖人は『開目抄』(人開顕の書1272年2月撰述)で人として学ばなければならない道を説いたものとして,当時日本に存在した儒教・インドの宗教や哲学・仏教をあげ宗教思想を比較し,仏教が優れた人道を説く教えであり,その中でも『法華経』が最も優れている(ただ法華経ばかり教主釈尊の正言なり.三世十方の諸仏の真言なり.)ことを説いた.天台の教学に基づく教判論(五時八教判)によって,『法華経』以外の仏教を爾前経*2(二乗作仏も久遠実成も説かれていない)と一括し,方便の教えと見るのである.そして根本真理を説いた『法華経』でもまた前半「迹門」(二乗作仏)と後半「本門」(久遠実成)に分けている*3
 『開目抄』の翌年,聖人は『観心本尊抄』(法開顕の書1273年4月撰述)を著した.
 本書は,天台智顗の著作『摩訶止観』の「一念三千」を説く箇所の引用から始まっている.われわれのこころに三千の世界があるとする「一念三千」の人間観とは,人間のこころは一瞬のうちに変化する三千という無限大の広がりをもっている.すなわち,こころは十界(十のこころの世界)に分けられ,どんな人でも地獄のような苦しみから仏の世界まで自分自身の内面に持っている.十界(六道・仏・菩薩・縁覚・声聞)のそれぞれが十界を具え*4 ,百界それぞれがありのままの姿(諸法実相)である十如是(要素:相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)を具え*5 ,それぞれがまた三種世間(五蘊衆生・国土)を具えているというものである.私たちのこころがそのまま三千の世界*6なのである.したがって「私とはどのような存在なのか」はその三千を我が心に観ずる実践により答えを見出して行くことが出来るのである.
観心門(実践)について
 『観心本尊抄』は聖人独自の題目・本尊観(日蓮思想の核心)が展開されている. 聖人独自の教判である「四種三段」により,釈尊在世中は本法の正宗分(寿量,一品二半)*7の教説で悟りに至ったが,釈尊入滅後の末法の時代(釈尊の教えだけが存在する時代)となった今は,衆生を主な対象として「妙法蓮華経」の題目によって,仏となる種を植えられるとした.

末法の時代

永承7年(1052)仏滅後二千年.
1272年4月,聖人は塚原から一谷へ移される.ここで観心本尊抄(法開顕の書:釈尊が仏になるまでの修行と,仏になった功徳のすべてが題目に備わり,この題目こそ末法の正法→大曼荼羅を始顕)を執筆する(「文永八年太才辛未九月十二日、御勘気を蒙り佐渡国に遠流さる。同十年太才癸酉七月八日之れを図す。此の法華経の大曼陀羅は仏滅後二千二百二十余年、一閻浮提之内、未だ之れ有らず。日蓮始めて之れを図す。」).そして流罪を許され鎌倉に戻ったのは1274年3月(53歳)である. 

  末法の時代には,すべての経典に説かれる釈尊の修行とさとりの世界は,「一念三千」を包み込んだ題目「南無妙法蓮華経」と唱えることによって正道となる.『法華経』のみが釈尊の正言でり,それはさらに「妙法蓮華経」という題目に集約されるというものである.
 釈尊の教えは,如来寿量品文底に説かれる観心門,「南無妙法蓮華経」の題目に極められたのである.

 五義について
聖人は,教相門(理論)と観心門(実践)の勝劣を述べる際に,時代の違い(現実社会)を基準にして,その究極を定めた.この教判を「五義」といい,教を機・時・国・序の4つの現実要因に基づいて弘めるための心得であると説いている.  

*1:一切経釈尊の教えとして読み切ったところに『法華経』の真実性が見えてくる.

*2:経には順番があるという意味.

*3:二乗作仏,久遠実成を『法華経』の中心思想と見るのは天台の伝統的な見方であり,聖人の独自性はない.

*4:十界互具.

*5:百界千如.

*6:天台智顗:心があれば三千の世界を具す.

*7:その余の一切の経教は衆生を導くための方便であると判じた.