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天台の教え(五時)

三照譬,五味譬,長者窮子喩

 天台大師は,印度から渡ってきた膨大な仏教典類を分類・整理するため,化法の四教・化儀の四教の「八教」と「五時」の教判を説いた.「八教」の教判が,釈尊一代(50年:成道30歳〜入滅80歳)の説法の内容・形式(薬・処方)を分類したものであるのに対して,「五時」教判は更にこの説法を時間的に区分したものである.
 天台大師はこの五時を説明するに当たって,その意義と理由について,『涅槃経』の「五味」,『華厳経』の「三照」,『法華経』信解品の「長者窮子」の譬喩を用いて説いている(下図のとおり).

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  最初の華厳時は,釈尊が悟りを開いた直後の三七,21日間をいう.この時釈尊が説いた『華厳経』は,高度な悟りの内容が披瀝されているので聴聞するほとんどの者は理解できなかった.そこで釈尊は段階的に時間を追って説法することにした.
 三照譬では,『華厳経』のことを「日が初めて出て高山を照らす」のに譬えていて,悟りを目前にした普賢菩薩等に対して厳然と説かれた姿を形容したものである.しかしほとんどの者は理解できなかったので,『法華経』の長者窮子喩では,長者が立派な姿をした使人を窮子に近づけ逃げられたことに該当し,擬宜(よろしきところをおしはかる)に譬えた.

  そこで小機の者の為に釈尊は,先ず小乗経典の教えである『阿含経』を説いた.これは,三照譬では幽谷を照らすことに,また法華経では,窮子との直接交渉に失敗した長者が,粗末な身なりをした使人を遣わしたことに当たり,誘引に譬える.
  鹿苑(阿含)時に続くのが,方等時である.この時説かれた経典は『維摩経』等の大乗経典である.阿含の小乗経を説いたあと釈尊は,種々の大乗の教えを説き大乗へと導いた.これは,長者窮子喩の中で,長者が窮子を向上させる過程を指し,弾呵(小乗の教えにとどまっているのを叱る)に相当する.また三照譬では,平地を照らす中で一番日の低い食時(じきじ)(午前八時)に譬えられている.
 そして第四の『般若経』が解かれる.方等時において釈尊は,小乗と大乗は別のものであり優れた大乗への転向を説いた.ここでは,小乗の執着からさめた衆生に対して「空」を説き,大乗と小乗を対立的に考えていた方等時の衆生を一切空の立場から否定し,本来すべてが大乗であることを示した.これは,長者窮子喩では,長者が窮子に対して我が子のように接し重要な役を与えることを指し,淘汰(より分け精選する)に当たる.
 また三照譬では平地を照らす中の禺中(ぐうちゅう)(午前十時)に譬えられる.
 最後が法華涅槃時である.釈尊はずっと次第を追って経を説いた.それはそれぞれの者を『法華経』に導きすべての教えを統合するための方便であった.この『法華経』は,長者窮子喩では,長者が窮子を我が子であると開顕して家業を継がせることに当たり,三照譬では正中(しょうちゅう)(正午)といって一番高い位置から平地を遍く照らし出すことに譬える.
 そして後番を涅槃時といい,一日一夜の説法をいう.醍醐とは醍醐味(だいごみ)のことで,牛乳から精製して最後に完成する色香味のすべてに勝れた妙味の食物をいい,「涅槃経」には一切の病を消滅する妙薬と説かれている.
 五味譬については,『大般涅槃経』の「五味相生の譬」の一節,「牛より乳を出し,乳より酪(らく)を出し,酪より生蘇(しょうそ)を出し,生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し,熟酥より醍醐を出す,醍醐は最上なり.」のとおり,数々の経典を経た最終形態が『大涅槃経』という内容の譬えとして,乳製品の最上級品である醍醐が使われている.教えを聞くものの機根*1が熟していくことに譬えてそれぞれ図の様に五時に配当されている.

 この天台大師の五時の教判によって,釈尊の一代の教説は『法華経』を根本に整理され,体系づけられたのである.

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参考:https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf

*1:教えを聞いて修行できる能力.