水色の写真館

暮らしの雑文

日蓮

近代の歴史・日連係諸宗派について

日本における近代は明治維新(1868年)から太平洋戦争の終結の昭和20年(1945年)にいたる時代である. 明治政府は,国学・神道を指導理念とし,神仏分離を推し進めた.その結果,全国的な廃仏(排仏)毀釈が行われ,多くの僧侶が還俗,仏教への迫害や沢山の…

近世その2・法華信仰の特徴(仏教書の出版)

檀林教育が各地で盛んになると, noginogikun.hatenablog.com これに併せ仏教書の出版もなされるようになる.その中には日蓮聖人の伝記も刊行されるようになり,近世中期には庶民信仰の高まりとともに,開祖にたいする祖師信仰や守護神*1(鬼子母神・妙見菩…

近世に移行・檀林教育の特色(様々な弾圧を受けた歴史)

日本における近世は安土桃山時代・江戸時代をさし,室町幕府の滅亡(1573年)から明治維新(1868年)にいたる時代である. 日蓮宗は,明治9年(1876年)の「日蓮宗」という宗派名公称以前は,法華宗・日蓮法華宗その他日蓮党と呼ばれていた. 近世に移行する…

日蓮教団の京都進出について

日蓮宗の京都進出と妙覚寺法式・寛正の盟約にみられる不受不施思想の特徴について 日蓮宗は,明治9年の「日蓮宗」という宗派名公称以前は,法華宗・日蓮法華宗*1と呼ばれていた. 日興が身延の地を去って(1288)から,身延の中心は日向,日朗,日昭は関東に…

身延山における守塔輪番制について

日蓮聖人入滅(弘安五年十月・1282)後の教団組織は身延山にある聖人の廟所(墓所)の五輪塔を中心に図られた.六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日頂,日持)を中心とする直弟子たち(18名)が毎月輪番で廟所を守るため,身延山久遠寺番帳が定められた(弘…

資料(漢文)講読,書き下し

(資料購読)「日朗*門流起請文」元応二年(1320)京都妙顕寺所蔵 本門寺日朗聖人御遷化之後、為二其御門弟法門弘通意趣一、守二本所遺跡一、可レ為二一味同心一、自今以後、若於二一人一有二法門不審一者、衆徒令二一同一相互令二論説落居一之後、可レ弘二…

近世の日蓮教団の動向(不受不施,檀林,法華信仰・守護神仰)

日蓮宗は,明治9年の「日蓮宗」という宗派名公称以前は,法華宗・日蓮法華宗と呼ばれていた. 日興が去ってから,身延の中心は日向,日朗,日昭は関東に広く普及し,特に日朗は池上本門寺を中心に勢力を拡大した.また日常は下総に拠点を構えた.日朗の流れ…

日蓮聖人入滅後の門流の動向について

日蓮教団系譜図 日蓮聖人入滅から中世の時代(初期門流の動向) 日蓮入滅*1後の教団組織は身延山にある聖人の廟所(墓所)の五輪塔を中心に図られた.六老僧(日昭,日朗,日向,日興,日持,日頂)を中心とする直弟子たち(18名)が毎月輪番で廟所を守るた…

日蓮聖人の教え - 人間観

仏教の目指すものは,自己が自我を克服し悟りの境地「涅槃」を目指すものである.一方,聖人はまず社会,国家に目を向け,立正安国の答えを『法華経』に不退転の信仰をもって向かい合いそれを求めた*1.社会がよくなるためにはどうしたら良いか,そのために…

日蓮聖人の教え - 経典と本尊

仏教の目指すものは,自己が自我を克服し悟りの境地「涅槃」を目指すものである.一方,聖人はまず社会,国家に目を向け,立正安国の答えを釈尊が説いた教えであるという認識に基づき仏教経典*1に求めた.「本当の教主と正しい教えとは」の答えを聖人の遺文…

日蓮聖人の生涯

〔日蓮聖人が「法華経の行者」の確信をもち,立教開宗から小松原法難に至る過程〕 1.誕生と修学 日蓮は鎌倉中期の貞応(じょうおう)元年(1222.2.16)*1 ,安房国(千葉県)に生まれた.12歳で安房国小湊の清澄寺*2で修行し,道善房という師のもとに16歳で…